・・・「朝 ヌク飯三ワン 佃煮 梅干 牛乳一合ココア入リぐようなあさましい人間の寄り合いを尋ね歩いて、ちぐはぐな心の調律をして回るような人はないものであろうか。 物語に伝えられた最明寺時頼や講談に読まれる水戸黄門は、おそらく自分では一種の・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・「うん、毎朝梅干に白砂糖を懸けて来て是非一つ食えッて云うんだがね。これを食わないと婆さんすこぶる御機嫌が悪いのさ」「食えばどうかするのかい」「何でも厄病除のまじないだそうだ。そうして婆さんの理由が面白い。日本中どこの宿屋へ泊って・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・この梅干船(この船は賄が悪いのでこの仇名が我最期の場所かと思うと恐しく悲しくなって一分間も心の静まるという事はない。しかし郵便を出してくれると聞いて、自分も起き直って、ようよう硯など取り出し、東京へやる電報を手紙の中へ封じてある人に頼んでや・・・ 正岡子規 「病」
・・・南のことは誰も不馴れで、何となく手がない気がして、決心ばかりするしかないのだけれど、こちらでこれだけのことがわかって包みが間に合えば、いくらか心ゆかせになるというものです。梅干布などというものもあって、これは島田で作っていただきます。さらし・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・農村では全く自分の家の梅の実さえも自分勝手に梅干に出来ないという状態で暮して来た。食糧の計画的生産、計画的配給は日本では手後れに計画されて、しかも各生産部門における能率低下の原因と反比例する増産の必要に追立てられた。男手を失った農村の婦人達・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫