・・・ 前業の養鶏奨励の方法は、だんだん詳しく述べるつもりであるが、まあその模範として一例を示そう。先頃私が茨窪の松林を散歩していると、向うから一人の黒い小倉服を着た人間の生徒が、何か大へん考えながらやって来た。私はすぐにその生徒の考えている・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・仏教徒諸君、釈迦を見ならえ、釈迦の行為を模範とせよ。釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或は二十万分一の縮尺に於てこれを習修せよ。然る後に菜食主義もよろしかろう。諸君の如き畸形の信者は恐らく地下の釈迦も迷惑であろう。・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・「あの二人は模範的な母親たちですよ。お母さんの方は代議員だし、オーリャは党員候補です」 ソヴェト同盟の工場では五人に一人ぐらいの割合で婦人労働者の間から代議員というのを選んでいる。これは党員ではないが、ソヴェト同盟がプロレタリア・農・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・鉄道病院の模範看護婦で、日本大学の夜学で勉強したことがある――。「そこであんまりとんちんかんな社会学の講義をきかされたんで、妙だ、妙だと思ったのがこっちへ来る始りなのよ」 可笑しそうに笑いながら、「自分で働いてりゃ、馬鹿だってそ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ わたしたちのぐるりの手近い現実のなかに、美しい、模範となる民主主義の見本は見えていない。それがはっきり一般の人々の眼と心に映るまでに、海外との自由なゆききはまだ出来ない条件にある。そのために、インテリゲンツィアの気分の中には、民主主義・・・ 宮本百合子 「誰のために」
・・・天錫の純潔な心の苦痛は、彼がニューイングランドの人々にとっていつも一人の「中国の模範青年」であることであった。中国から帰って来た教育家たちが、教会で神学作興資金の演説をしたあとでは、きまって天錫を壇上に呼び上げて、会衆に紹介する。「『之が、・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・困難は、それらが今も尚われらに芸術的享楽を与え、且つ或る点では規範として又及び難い模範として通るのを何と解するかにある」だけについて見ても、ここで新しき文化の開花のための最も重要な鍵は、最後の一行、「及び難い模範として通るのを何と解する・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ックをこの目覚ましい祭の中心人物として書いて、ウィルヘルム第二世とハルナックとの君臣の間柄は、人主が学者を信用し、学者が献身的態度を以て学術界に貢献しながら、同時に君国の用をなすと云う方面から見ると、模範的だと云って、ハルナックが事業の根柢・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・出て行くとき彼女は長い廊下を見送る看護婦たちにとりまかれながら、いささかの羞ずかしさのために顔を染めてはいたものの、傲然とした足つきで出ていった、それは丁度、長い酷使と粗食との生活に対して反抗した模範を示すかのように。その出て行くときの彼女・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・しかもその勧めは、前にあげた兼良の『小夜のねざめ』と同じく、平安朝の文芸を模範とした教養の理想のもとに立っているのである。それを説いているのが戦国末期の勇猛な武士であるというところに、我々は非常な興味を覚える。 が、『辰敬家訓』の一層顕・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫