・・・絵の方だと横山、安田氏などですか。私も知合ではありますが、たとえば、その人たちにも話をしません。芥川さんなどは、話上手で、聞上手で、痩せていても懐中が広いから、嬉しそうに聞いてはくれるでしょうが、苦笑ものだろうと思うから、それにさえ遠慮をし・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・その頃横山町に家内太夫という清元のお師匠さんがあった。椿岳はこのお師匠さんに弟子入りして清元の稽古を初めたが、家族にも秘密ならお師匠さんにも淡島屋の主人であるのを秘して、手代か職人であるような顔をして作さんと称していた。それから暫らく経って・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・三日に揚げずに来るのに毎次でも下宿の不味いものでもあるまいと、何処かへ食べに行かないかと誘うと、鳥は浜町の筑紫でなけりゃア喰えんの、天麩羅は横山町の丸新でなけりゃア駄目だのと、ツイ近所で間に合わすという事が出来なかった。家の惣菜なら不味くて・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ たま/\、学校へ出られる途すがら立寄られた横山博士に、何か、ありを退治する良い薬はないものですかとたずねたのです。博士は、敬虔な生物学者に共通の博愛心から、「かわいそうにな、ありは、勤勉な虫だが、どういうものか、みんなにきらわれる・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・ 横山大観のしょうしょうはっけいはどうも魂が抜けている。塗り盆に白い砂でこしらえる盆景の感じそのままである。全部がこしらえものである。金粉を振ったのは大きな失敗でこれも展覧会意識の生み出した悪い企図である。 速水御舟の「家」の絵は見・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・ その頃、自分の家ではあまりかからなかったが、親類で始終頼んでいた横山先生という面白い医者があった。畸人という通称があったが、しかし難儀な病気の診断が上手だと云う評判であった。ある時山奥のまた山奥から出て来た病人でどの医者にも診断のつか・・・ 寺田寅彦 「追憶の医師達」
・・・ 鍋井氏の絵は少し変ったようである。こういう絵も自分はわりに好きな方ではあるが、ただ変るところまで変る途中にあるような気がした。来年を楽しみにしている。 横山氏の絵はかなりうまいと思うが、好きにはなれない。これは趣味の相違で・・・ 寺田寅彦 「二科会展覧会雑感」
・・・ 横山大観氏の絵だけには、いつでも何かしら人を引きつける多少の内容といったようなものがある。決して空虚な絵を描かない人である。今年の幽霊のような女の絵でも、決して好きにはなれないが、しかし一度見たら妙に眼に残って忘れられない不思議なもの・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・維新の後星巌の門人横山湖山が既に其姓を小野と改め近江の郷里より上京し、不忍池畔に一楼を構えて新に詩社を開いた。是明治五年壬申の夏である。湖山は維新の際国事に奔走した功により権弁事の職に挙げられたが姑くにして致仕し、其師星巌が風流の跡を慕って・・・ 永井荷風 「上野」
・・・どうせ老仙国へ旅行するなら、幸田露伴のように飄々として居ればよい。横山大観、梅原龍三郎、やっぱり細川護立侯の顔を立てるとか立てぬとか。由来、日本の芸道の精髄は気稟にあった。気魄ということは芸術の擬態、くわせものにまでつかわれるものであるが、・・・ 宮本百合子 「雨の小やみ」
出典:青空文庫