・・・舟で高架鉄道の土堤へ漕ぎつけ、高架線の橋上を両国に出ようというのである。われに等しき避難者は、男女老幼、雨具も無きが多く、陸続として、約二十町の間を引ききりなしに渡り行くのである。十八を頭に赤子の守子を合して九人の子供を引連れた一族もその内・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・この処は、北は川口町、南は赤羽の町が近いので、橋上には自転車と自動車の往復が烈しく、わたくしの散策には適していない。放水路の水と荒川の本流とは新荒川橋下の水門を境にして、各堤防を異にし、あるいは遠くなりあるいは近くなりして共に東に向って流れ・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・その敬神尊王の主義を現したる歌の中に高山彦九郎正之大御門そのかたむきて橋上に頂根突けむ真心たふとをりにふれてよみつづけける吹風の目にこそ見えぬ神々は此天地にかむづまります独楽・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・柳の葉かげ、水際まで石段のついた支那風石橋がかかっている。橋上に立つと、薄い夕靄に柔められた光線の中に、両岸の緑と、次から次へ遠望される石橋の異国的な景色は、なかなか美しかった。 崇福寺は、黄檗宗の由緒ある寺だが、荒廃し、入口の処、白い・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫