・・・ 制帽の庇の下にものすごく潜める眼光は、機敏と、鋭利と厳酷とを混じたる、異様の光に輝けり。 渠は左右のものを見、上下のものを視むるとき、さらにその顔を動かし、首を掉ることをせざれども、瞳は自在に回転して、随意にその用を弁ずるなり。・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・それには、青木と田島とが、失望の恨みから、事件を誇張したり、捏造したりしたのだろう、僕が機敏に逃げたのなら、僕を呼び寄せた坊主をなぐれという騒ぎになった。僕の妻も危険であったのだが、はじめは何も知らなかったらしい。吉弥を案内として、方々を見・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・』 丸善は如何に機敏でも常から焼けるのを待構えて、焼けるべく予想する本の目録を作って置かない。又焼けてから半日経たぬ間に焼けた本の目録を作るは丸善のような遅鈍な商人には決して出来ない。概算一万三千種の書目を作るは十人のタイピストが掛って・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・ や、それは、と善平はわれ知らず乗り出して、それは重々の上首尾で、失礼ながらあなたの機敏なお働きには、この善平いつもながら実に感服いたしまする。 ひらめき渡る辰弥の目の中にある物は今躍り上りてこの機を掴みぬ。得たりとばかり膝を進めて・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・その時予の後にあってたまを何時か手にしていた少年は機敏に突とその魚を撈った。 魚は言うほどもないフクコであったが、秋下りのことであるし、育ちの好いのであったから、二人の膳に上すに十分足りるものであった。少年は今はもう羨みの色よりも、ただ・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・ 同時に、一方では、あのおそろしい猛火と混乱との中で、しまいまで、おちついて機敏に手をつくし、または命をまでもなげ出して、多くの人々をすくい上げた、いろいろの人々のとうといはたらきをも忘れてはなりません。たとえば、これまで深川の貧民たち・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・将来の女らしさは、そういう狭い個人的な即物的解決の機敏さだけでは、決して追っつかない。子供たちに炭のないわけを公平に納得させてやれるだけの社会についての知識と、そういう寒さをも何かと凌ぎよくしてやるだけのひろい科学的な工夫のできる心、歴史の・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ メーラは機敏な黒い目で、インガが何だか口ごもったのを見のがさなかった。「――けれど?」「――けれど……ほんとね、私は沢山の『けれども』を発見した。それは本当だ。まるで予想しなかったことにもぶつかった。」 メーラに話す気も時・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ヨーロッパの民衆は平常の表情はだらしないゆるんだ様子をしている者でも、何かまじめに考えたり、行動したりしようという瞬間には、その容貌が一変したようになって普通と違う緊張やある活気機敏さを示す。精神活動の目醒めがすぐそのものとして顔に出て来る・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・ 現実に面してひるまない精神ということと、何が出ようとも何とも感じず常にそこから自分にとって一番好都合の部分をかすめとって来る機敏さというものとは、全然別様のものである。歴史に働きかける力としての存在ということも、いつも立役者として舞台・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
出典:青空文庫