・・・澄むの難く濁るの易き、水の如き人間の思潮は、忽ちの内に、濁流の支配する処となった、所謂現時の上流社会なるものが、精神的趣味の修養を欠ける結果、品位ある娯楽を解するの頭脳がないのである、彼等が蕩々相率ひて、浅薄下劣な娯楽に耽るに至れるは勢の自・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・月が欠けるに随って、K君もあんな夜更けに海へ出ることはなくなりました。 ある朝、私は日の出を見に海辺に立っていたことがありました。そのときK君も早起きしたのか、同じくやって来ました。そして、ちょうど太陽の光の反射のなかへ漕ぎ入った船を見・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ フランス文学では、十九世紀だったらばたいてい皆、バルザック、フローベル、そういう所謂大文豪に心服していなければ、なにか文人たるものの資格に欠けるというような、へんな常識があるようですけれども、私はそんな大文豪の作品は、本当はあまり読ん・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
・・・しかしそれで枯れ枝などを切ると刃が欠けるという主人の言葉はほんとうらしかった。 私はなんだか試験をされているような気がした。主人は団扇と楊枝とを使いながら往来をながめていた。子供は退屈そうに時々私の顔を見上げていた。 とうとう柄の長・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・されど蕪村の句その影響を受けしとも見えざるは、音調に泥みて清新なる趣味を欠ける和歌の到底俳句を利するに足らざりしや必せり。 当時の和文なるものは多く擬古文の類にして見るべきなかりしも、擬古ということはあるいは蕪村をして古語を用い古代の有・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・いつか、人間の如何那関係に於ても、欠けると大変なのは、友情だと云うのを読み、深い真のあるを思う。 母上、貴方は、どうしてもう少し私や、Aに、友情を持って下さることは出来ないでしょうか。 A、貴方は、もう少し、一人の友に対して寛大であ・・・ 宮本百合子 「傾く日」
・・・かりに男八時間女八時間の社会的な勤労に対して、男と女とが一銭の差のない報酬を獲る社会があったとして、ではそれでそこには欠けることない両性の明るくゆたかな生活が創られているといえるのだろうか。 世界じゅうの婦人がおびただしく社会的な活動に・・・ 宮本百合子 「女性の現実」
・・・言い換えれば筋はあるがその話の筋につれて展開して来る社会の様々な人心・その錯綜・その衝突・悲しみ・喜びが現実にあるより一層鮮かな輪廓を以って読者の心を捕えるような芸術の真の現実性というものが欠ける。それならばどういう力で、作家はそのような強・・・ 宮本百合子 「問に答えて」
出典:青空文庫