・・・夕方近くなると、どこからともなく次第に集まって来て、池の上を渡す電線に止まるのが十何羽と数えられることがある。ときどき汀の石の上や橋の上に降り立って尻尾を振動させている。不意に飛び立って水面をすれすれに飛びながら何かしら啄んでは空中に飛び上・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・其葦の枯葉が池の中心に向つて次第に疎になつて、只枯蓮の襤褸のやうな葉、海綿のやうな房が碁布せられ、葉や房の茎は、種々の高さに折れて、それが鋭角に聳えて、景物に荒涼な趣を添へてゐる。此の bitume 色の茎の間を縫つて、黒ずんだ上に鈍い反射・・・ 永井荷風 「上野」
・・・余が桜の杖に頤を支えて真正面を見ていると、遥かに対岸の往来を這い廻る霧の影は次第に濃くなって五階立の町続きの下からぜんぜんこの揺曳くものの裏に薄れ去って来る。しまいには遠き未来の世を眼前に引き出したるように窈然たる空の中にとりとめのつかぬ鳶・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・だが軍隊生活の土産として、酒と女の味を知った彼は、田舎の味気ない土いじりに、もはや満足することが出来なかった。次第に彼は放蕩に身を持ちくずし、とうとう壮士芝居の一座に這入った。田舎廻りの舞台の上で、彼は玄武門の勇士を演じ、自分で原田重吉に扮・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・幼少の時より家庭の教訓に教えられ又世間一般の習慣に圧制せられて次第に萎縮し、男子の不品行を咎むるは嫉妬なり、嫉妬は婦人の慎しむべき悪徳なり、之を口に発し色に現わすも恥辱なりと信じて、却て他の狂乱を許して次第に増長せしむるが故なり。畢竟するに・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・つまり生活が次第に崩してゆくんだ。そして、こんな心持で文学上の製作に従事するから捗のゆかんこと夥しい。とても原稿料なぞじゃ私一身すら持耐えられん。況や家道は日に傾いて、心細い位置に落ちてゆく。老人共は始終愁眉を開いた例が無い。其他種々の苦痛・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・あなたが次第に名高くおなりになるのを、わたくしは蔭ながら胸に動悸をさせて、正直に心から嬉しく存じて傍看いたしていました。それにひっきりなしに評判の作をお出しになるものですから、わたくしが断えずあなたの事を思わせられるのも、余儀ないわけでござ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・初めは遠く、次第に近く、終にはその音暖かに充ち渡りて、壁隣の部屋より聞ゆる如音楽だな。何だか不思議に心に沁み入るような調べだ。あの男が下らぬ事を饒舌ったので、己まで気が狂ったのでもあるまい。人の手で弾くヴァイオリンからこんな音の出るのを聞い・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・『万葉』は主として主観的歌想を述べたるものにして客観的歌想は極めて少かりしが、『古今』以後、客観的歌想の歌、次第にその数を増加するの傾向を見る。 主観的歌想の中にて理屈めきたるはその品卑しく趣味薄くして取るに足らず。『古今』以後の歌には・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・「そうですね、新聞に出ていましたが、オキナワレットウにハッセイしたテイキアツは次第にホクホクセイのほうへシンコウ……。」「エヘン、エヘン。」クねずみはまたいやなせきばらいをやりましたので、タねずみはこんどというこんどはすっかりびっく・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
出典:青空文庫