・・・「死んでまでも『今なるぞ』節の英雄と同列したるは歌曲を生命とする緑雨一代の面目に候」とでも冥土から端書が来る処だった。 緑雨の眼と唇辺に泛べる“Sneer”の表情は天下一品であった。能く見ると余り好い男振ではなかったが、この“Sneer・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・戦争中にはやった少年航空兵の歌曲のようであった。 女は、ぽつんと言った。「あしたは、まっすぐに家へおかえりなさいね。」「ええ、そのつもりです。」「寄り道をしちゃだめよ。」「寄り道しません。」 私は、うとうとまどろんだ・・・ 太宰治 「母」
・・・また、シューベルトの歌曲「糸車のグレーチヘン」は六拍子であって、その伴奏のあの特徴ある六連音の波のうねりが糸車の回転を象徴しているようである。これだけから見ても西洋の糸車と日本の糸車とが全くちがった詩の世界に属するものだということがわかると・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・先生はよくシューベルトの歌曲を歌って聞かせられたが、お得意のレペルトアルは、Stndchen, Am Meer, Im Dorfe, Doppelgnger, Erlknig, Leiermann, Lindenbaum etc. であった・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
哀愁の詩人ミュッセが小曲の中に、青春の希望元気と共に銷磨し尽した時この憂悶を慰撫するもの音楽と美姫との外はない。曾てわかき日に一たび聴いたことのある幽婉なる歌曲に重ねて耳を傾ける時ほどうれしいものはない、と云うような意を述・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・それに歌曲なども丁度万葉時代のように、見たまま思ったままを直ぐ歌にして鳥の鳴声、雲の動きなど総べて自然によせて自分の感情をうたいますから如何にも自由で生々としています。こういう芸術味のある歌も、営利の為につまらぬ興業師などに利用されて、歌の・・・ 宮本百合子 「親しく見聞したアイヌの生活」
・・・だが、私たちはシューマンの荘重な一つの歌曲を思いおこさずにはいられない。その歌はうたっている。「私は、悲しまない」と。先にゆく人影がないのならば、まずその道を行った人々によって伝統が始められたことを知らなければならない。日本の人民のための文・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
出典:青空文庫