・・・猛烈な創造の歓喜を知らない。猛烈な道徳的情熱を知らない。猛烈な、――およそこの地球を荘厳にすべき、猛烈な何物も知らずにいるんだ。そこに彼等の致命傷もあれば、彼等の害毒も潜んでいると思う。害毒の一つは能動的に、他人をも通人に変らせてしまう。害・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・さらにまた伝うる所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜中刑場に飛んでいたと云う。これもそう無性に喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である。・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・まっ白な広間の寂寞と凋んだ薔薇の莟のと、――無数の仔蜘蛛を生んだ雌蜘蛛はそう云う産所と墓とを兼ねた、紗のような幕の天井の下に、天職を果した母親の限りない歓喜を感じながら、いつか死についていたのであった。――あの蜂を噛み殺した、ほとんど「悪」・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・その小さい心臓は無上の歓喜のために破れようとした。思わず身をすり寄せて、素足のままのフランシスの爪先きに手を触れると、フランシスは静かに足を引きすざらせながら、いたわるように祝福するように、彼女の頭に軽く手を置いて間遠につぶやき始めた。小雨・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 続いて、霜こしの黄茸を見つけた――その時の歓喜を思え。――真打だ。本望だ。「山の神さんが下さいました。」 浪路はふたたび手を合した。「嬉しく頂戴をいたします。」 私も山に一礼した。 さて一つ見つかると、あとは女郎花・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・パッパ、チイチイ諸きおいに歓喜の声を上げて、踊りながら、飛びながら、啄むと、今度は目白鳥が中へ交った。雀同志は、突合って、先を争って狂っても、その目白鳥にはおとなしく優しかった。そして目白鳥は、欲しそうに、不思議そうに、雀の飯を視めていた。・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・具足円満、平等利益――南無妙……此経難持、若暫持、我即歓喜……一切天人皆応供養。――」 チーン。「ありがとう存じます。」「はいはい。」「御苦労様でございました。」「はい。」 と、袖に取った輪鉦形に肱をあげて、打傾きざ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・が、その口の端から渋江抽斎の写した古い武鑑が手に入ったといって歓喜と得意の色を漲らした。 鴎外が抽斎や蘭軒等の事跡を考証したのはこれらの古書校勘家と一縷の相通ずる共通の趣味があったからだろう。晩年一部の好書家が斎展覧会を催したらドウだろ・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 秋の末に帰京すると、留守中の来訪者の名刺の中に意外にも長谷川辰之助の名を発見してあたかも酸を懐うて梅実を見る如くに歓喜し、その翌々日の夕方初めて二葉亭を猿楽町に訪問した。 丁度日が暮れて間もなくであった。座敷の縁側を通り過ぎて陰気・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。もし今までのエライ人の事業をわ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
出典:青空文庫