・・・「此奴」 と思わず呟いて苦笑した。「待てよ」 獲物を、と立って橋の詰へ寄って行く、とふわふわと着いて来て、板と蘆の根の行き逢った隅へ、足近く、ついと来たが、蟹の穴か、蘆の根か、ぶくぶく白泡が立ったのを、ひょい、と気なしに被っ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・――ろくでもない事を覚えて、此奴めが。こんな変な場処まで捜しまわるようでは、あすこ、ここ、町の本屋をあら方あらしたに違いない。道理こそ、お父さんが大層な心配だ。……新坊、小母さんの膝の傍へ。――気をはっきりとしないか。ええ、あんな裏土塀の壊・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・「何だねえ、人をだましてさ、まだ、そこに居るのかい、此奴、」 と小児に打たせたそうに、つかつかと寄ったが、ぎょっとして退った。 檐下の黒いものは、身の丈三之助の約三倍、朦朧として頭の円い、袖の平たい、入道であった。 女房は身・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・と、ぽんと鼻を鳴らすような咳払をする。此奴が取澄ましていかにも高慢で、且つ翁寂びる。争われぬのは、お祖父さんの御典医から、父典養に相伝して、脈を取って、ト小指を刎ねた時の容体と少しも変らぬ。 杢若が、さとと云うのは、山、村里のその里の意・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・くしい姉さんは居ないのッて、一所に立った人をつかまえちゃあ、聞いたけれど、笑うものやら、嘲けるものやら、聞かないふりをするものやら、つまらないとけなすものやら、馬鹿だというものやら、番小屋の媽々に似て此奴もどうかしていらあ、というものやら。・・・ 泉鏡花 「化鳥」
・・・……おお、よちよち、と言った工合に、この親馬鹿が、すぐにのろくなって、お飯粒の白い処を――贅沢な奴らで、内のは挽割麦を交ぜるのだがよほど腹がすかないと麦の方へは嘴をつけぬ。此奴ら、大地震の時は弱ったぞ――啄んで、嘴で、仔の口へ、押込み揉込む・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ すぐに此奴が法壇へ飛上った、その疾さ。 紫玉がもはや、と思い切って池に飛ぼうとする処を、圧えて、そして剥いだ。 女の身としてあらりょうか。 あの、雪を束ねた白いものの、壇の上にひれ伏した、あわれな状は、月を祭る供物に似て、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ と急遽して、実は逃構も少々、この臆病者は、病人の名を聞いてさえ、悚然とする様子で、 お鉄(此奴あ念を入れて名告は袖屏風で、病人を労っていたのでありますが、「さあさあ早くその中へ、お床は別々でも、お前さん何だよ御婚礼の晩は、女が・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 蝦蟇法師は流眄に懸け、「へ、へ、へ、うむ正に此奴なり、予が顔を傷附けたる、大胆者、讐返ということのあるを知らずして」傲然としてせせら笑う。 これを聞くより老媼はぞっと心臓まで寒くなりて、全体氷柱に化したる如く、いと哀れなる声を発し・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・はてな、此奴死骸かな。それとも負傷者かな? 何方でも関わん。おれは臥る…… いやいや如何考えてみても其様な筈がない。味方は何処へ往ったのでもない。此処に居るに相違ない、敵を逐払って此処を守っているに相違ない。それにしては話声もせず篝・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫