・・・ おそらく死に際の幻覚には目にたてて見る塵もない自分の家の前庭や、したたり集って来る苔の水が水晶のように美しい筧の水溜りが彼を悲しませたであろう。 これがこの小さな字である。 断片 二 温泉は街道から幾折れかの石・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・華族様なんぞは平生苦労を知らない代りに死に際なんて来たらうろたえた事であろう。可哀想だが取り返しもつかないサ。正三位勲二等などと大きな墓表を建てたッて土の下三尺下りゃ何のききめもあるものでない。地獄では我々が古参だから頭下げて来るなら地獄の・・・ 正岡子規 「墓」
・・・民主的な評論家たちの次のより深い危機は、太宰治の死に際して歴然とした。太宰治は、現代の広汎な読者の心理に影響をもっているから、簡単にやっつけてはいけないというような理由で、民主的評論家の発言がひかえられた。 考えてみれば、これほど妙なこ・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・バルザックの雄大さ、独特性、芸術上の追随を許さぬ成果を認めてはいるが、決してそれ以上の打ちこみ方でバルザックを評価する力量をもっていなかったことは明らかである。バルザックの死に際して一八五〇年の彼の書いた追悼の文章の調子は我々の心にそのこと・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
出典:青空文庫