・・・死ぬなら立派に死にます」と仰臥した胸の上で合掌しました。其儘暫く瞑目していましたが、さすが眼の内に涙が見えました。それを見ると私は「ああ、可愛想な事を言うた」と思いました。病人は「お母さん、もう何も苦しい事は有りません。この通り平気です。然・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・そして吉田が病院へ来て以来最もしみじみした印象をうけていたものはこの付添婦という寂しい女達の群れのことであって、それらの人達はみな単なる生活の必要というだけではなしに、夫に死に別れたとか年が寄って養い手がないとか、どこかにそうした人生の不幸・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・悲しい事にはこの四郎はその後まもなく脊髄病にかかって、不具同様の命を二三年保っていたそうですが、死にました。そして私は、その墓がどこにあるかも今では知りません。あきらめられそうでいてて、さて思い起こすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈むの・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・やんごとなき仏にならせわがために死にしこころのそのままにして これは自分の妻をあることで、苦しめ抜いたある真宗信徒の歌である。 夫婦愛というものは少しの蹉跌があったからといって滅びるようなものではつまらない。初めは恋愛か・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・「俺は死にたくない!」彼は全身でそう云った。 将校は血のついた軍刀をさげたまゝ、再び軍刀をあびせかけるその方法がないものゝように、ぼんやり老人を見た。 兵卒は、思わず、恐怖から身震いしながら二三歩うしろへ退いた。伍長が這い上って来る・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・で歩くのであるから、忍耐に忍耐しきれなくなって怖くもなって来れば悲しくもなって来る、とうとう眼を凹ませて死にそうになって家へ帰って、物置の隅で人知れず三時間も寐てその疲労を癒したのであった。そこでその四五日は雁坂の山を望んでは、ああとてもあ・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・厳密にいえば、万物すべてうまれいでたる刹那より、すでに死につつあるのである。 これは、太陽の運命である。地球およびすべての遊星の運命である。まして地球に生息する一切の有機体をや。細は細菌より、大は大象にいたるまでの運命である。これは、天・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・でも、私は、土の中へでも埋めて置くように、死に金をしまって置く気はなかった。どうそれを使ったものかと思った。 どの時代を思い出してみても、私にはそう楽なという日もない。ずっと以前に、私は著作のしたくをするつもりで、三年ばかり山の上に・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・女は、からだを固くした。 一つ。女は、死にそうになった。 二つ。息ができなくなった。 三つ。大学生は、やはりどんどん歩いて行った。女は、そのあとを追って、死ぬよりほかはないわ、と呟いて、わが身が雑巾のように思われたそうである。・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・しかし自分は死にたくても死なれぬ。もしもの事があったら老い衰えた両親や妻子はどうなるのだと思うと満身の血潮は一時に頭に漲る。悶え苦しさに覚えず唸り声を出すと、妻は驚いてさし覗いたが急いで勝手の方へ行って氷を取りかえて来た。一時に氷が増してよ・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
出典:青空文庫