戦争後に流行しだしたものの中には、わたくしのかつて予想していなかったものが少くはない。殺人姦淫等の事件を、拙劣下賤な文字で主として記載する小新聞の流行、またジャズ舞踊の劇場で婦女の裸体を展覧させる事なども、わたくしの予想し・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・社会の公議輿論、すなわち一世の気風は、よく仏門慈善の智識をして、殺人戦闘の悪業をなさしめたるものなり。右はいずれも、人生の智徳を発達せしめ退歩せしめ、また変化せしむるの原因にして、その力はかえって学校の教育に勝るものなり。学育もとより軽々看・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・ざるに先んじて自から自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、兵乱のために人を殺し財を散ずるの禍をば軽くしたりといえども、立国の要素たる瘠我慢の士風を傷うたるの責は免かるべからず。殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・今日いずれの国の法律を以てしても、殺人罪は一番重く罰せられる。間接ではあるけれども、ビジテリアンたちも又この罪を免れない。近き将来、各国から委員が集って充分商議の上厳重に処罰されるのはわかり切ったことである。又この事実は、ビジテリアンたちの・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・として、過失致死罪として起訴した。殺人電車、赤ちゃん窒息という見出しで新聞はこの事件を報じた。そして、この不幸は母親ばかりの責任ではなく、我もろとも十分に知りつくしている昨今の東京の交通地獄の凄じさに対して、熱意ある解決をしない運輸省の怠慢・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・村の中で、この夜、村始まって初めての殺人があるかも知れないという状態はせいそうだ。私の想像はいやに活々して来た。まるで天眼通を授かったように、血なまぐさい光景の細目まで、歴然と目の前にえがかれて来た。これでは、実際あると同じこわさだ。神よ、・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・戦争は殺すということについて英雄心をもたせ、優越感を与えてきた。殺人を権力が正当化しました。戦の罪悪は、戦がその戦場でやった非人道的なことのほかに、こうして殺すという恐ろしいことについて無感覚になった人間を非常にたくさん日本の中にもたらした・・・ 宮本百合子 「浦和充子の事件に関して」
・・・便便として為すところなき梶自身の無力さに対する嫌悪や、栖方の世界に刃向う敵意や、殺人機の製造を目撃する淋しさや、勝利への予想に興奮する疲労や、――いや、見ないに越したことはない、と梶は思った。そして、栖方の云うままには動けぬ自分の嫉妬が淋し・・・ 横光利一 「微笑」
・・・「あれはなんだね。」「判決文です。」エルリングはこう云って、目を大きくって、落ち着いた気色で己を見た。「誰の。」「わたくしのです。」「どう云う文句かね。」「殺人犯で、懲役五箇年です。」緩やかな、力の這入った詞で、真面・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・お互いに殺人器をますます精鋭にし、殺人法をますます残酷にしたというほかに、どれほど人間を進歩させたか。――我々は現戦争のあらゆる著しい特質を見まわしたあとで、結局、最近の自然力支配は人間の罪悪と不幸とを一層深めた、という結論に到達する。すな・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫