・・・ たとえば日本士族の帯刀はおのずからその士人の心を殺伐に導き、かつまた、その外面も文明の体裁に不似合なればとて、廃刀の命を下したるが如く、政治上に断行して一時に人心を左右するは劇薬を用いて救急の療法を施すものに等しく、はなはだ至当なりと・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・人間らしい父と子の情愛の表現にさえ、彼等は生活のしきたりから殺伐な方法をとるしかなく、しかも、その殺伐さをとおして流露しようとする人間らしい父と子の心情を、彼等の支配者が利己と打算のために酷薄にふみにじる姿を描いている。けれども、当時の作者・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・日本では、一九三三年以後の社会と文学の形相があまり非理性的で殺伐であったために、その時期に青年期を経たインテリゲンチャの多くの人が、その清新生活では主として人民戦線のフランスに亡命した形があった。野間宏にしろ、加藤周一にしろ。それらの人たち・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・一種の乱世であった明治初年の殺伐な気風の時代にはそういうことがらも多かったろうと思う。 今日、昭和の御世、日本が東亜の指導者となりつつあるといわれているとき、国の中で首府の真中で、そういう気風が現われているということについて、私たちは何・・・ 宮本百合子 「私の感想」
出典:青空文庫