・・・であるためであろう。殿上の名もない一女官がおぼつかない筆で書いた日記体のものでも、それが忠実な記録であるために実証的の価値があり同時にそこに文学としての価値を生じるものと思われる。 第二にはいろいろの物語小説の類である。その中に現われる・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・自分の案内されたのはおそらく昔なら殿上人の席かもしれない。そう云えばいちばん前列の椅子はことごとく西洋人が占めていて、その中の一人の婦人の大きな帽子が、私の席から見ると舞台の三分の一くらいは蔽うのであった。これは世界中でいつも問題になる事で・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・もちろん天稟の素質もあったに相違ないが、また一方数奇の体験による試練の効によることは疑いもない事である。殿上に桐火桶を撫し簾を隔てて世俗に対したのでは俳人芭蕉は大成されなかったに相違ない。連歌と俳諧の分水嶺に立った宗祇がまた行脚の人であった・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・――昔は十万石以上の大名がこの殿上に居並び、十万石以下の大名は外なる廻廊に参列して礼拝の式をなした。かく説明する僧侶の音声は如何によく過去の時代の壮麗なる式場の光景を眼前に髣髴たらしめるであろうか。 自分は厳かなる唐獅子の壁画に添うて、・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・軽くあしらっていると、それがかねがね清少納言の讚嘆をあつめていて地位も名声も高い美男の殿上人であったので清少納言は少からずうろたえる。その殿上人は、女の人は寝起きの顔がことの外美しいと聞いていたから見に来たのですよ。帝がいらしたうちからここ・・・ 宮本百合子 「山の彼方は」
・・・七歳の時にはさらに阿波の国司がこのことを聞いて、目代から玉王を取り上げ、傍を離さず愛育したが、十歳の時、みかどがこれを御覧じて、殿上に召され、ことのほか寵愛された。十七の時にはもう国司の宣旨が下った。ところが筑紫へ赴任する前に、ある日前栽で・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫