・・・それから母子ふたりで、東京へ出て、苦労しました。わたくしは、どんぶり持って豆腐いっちょう買いに行くのが、一ばんつらかった。いまでは、どうやら、朝太郎も、皆様のおかげで、もの書いてお金いただけるようになって、わたくしは、朝太郎が、もう、どんな・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・それから母子ふたりで、東京へ出て、苦労しました。わたくしは、どんぶり持って豆腐いっちょう買いに行くのが、一ばんつらかった。いまでは、どうやら、朝太郎も、皆様のおかげで、もの書いてお金いただけるようになって、わたくしは、朝太郎が、もう、どんな・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・、疎開した直後に私は母から絵葉書の短いたよりをもらったが、当時の私の生活は苦しく、疎開してのんびりしている人に返事など書く気もせずそのままにしているうちに、私の環境もどんどん変り、とうとう五年間、その母子との消息が絶えていたのだ。 そう・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・ 以下は、その日の、母子協力の口述筆記全文である。 ――玉のような子が生れました。男の子でした。城中は喜びに沸きかえりました。けれども産後のラプンツェルは、日一日と衰弱しました。国中の名医が寄り集り、さまざまに手をつくしてみましたが・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ポリー母子がミリナーの店の前で飾り窓の中のマヌカンを見ている。そこへ近づくメッサーの姿が窓ガラスに映ってだんだん大きくなるのが印象的な迫力をもっている。「烏賊」ホテルの酒場のガラス窓越しに、話す男女の口の動きだけを見せるところは、「パリの屋・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・私は急いで例の柳行李のふたを持って来て母子をその中に安置したが、ちょっとの間もそこにはいてくれないで、すぐにまた座敷じゅうを引きずり歩くのであった。 当惑した私は裏の物置きへその行李を持ち込んで行って、そこに母子を閉じ込めてしまった、残・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・猫の母子の動静に関するいろいろの報告がしばしば私の耳にも伝えられた。 私の家では自分の物心ついて以来かつて猫を飼った事はなかった。第一私の母が猫という猫を概念的に憎んでいた。親類の家にも、犬はいても飼い猫は見られなかった。猫さえ見れば手・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ふりかえれば森田の母子と田中君なり。連れ立って更に園をめぐる。草花に処々釣り下げたる短冊既に面白からぬにその裏を見れば鬼ころしの広告ずり嘔吐を催すばかりなり。秋草には束髪の美人を聯想すなど考えながらこゝを出でたり。腹痛ようやく止む。鐘が淵紡・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・辰之助の言うとおり、現在別に世帯をもっているおひろの妹と、他国へ出て師匠をしているお絹の次ぎの妹と、すべてで四人もの娘がありながら、家を人手に渡さねばならなかったほど、彼女たちの母子は、揃いも揃って商売気がなかった。「いいわいね、お金が・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
出典:青空文庫