・・・そうして毎年秋になると、一年の年貢を取り立てるために、僕自身あそこへ下って行く。所がちょうど去年の秋、やはり松江へ下った帰りに、舟が渭塘のほとりまで来ると、柳や槐に囲まれながら、酒旗を出した家が一軒見える。朱塗りの欄干が画いたように、折れ曲・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・ 僕はその小みちを引き返しながら、毎年十二月九日には新年号の仕事に追われる為、滅多に先生のお墓参りをしなかったことを思い出した。しかし何度か来ないにしても、お墓の所在のわからないことは僕自身にも信じられなかった。 その次の稍広い小み・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・Mは十四でした。私は十三でした。妹は十一でした。Mは毎年学校の水泳部に行っていたので、とにかくあたり前に泳ぐことを知っていましたが、私は横のし泳ぎを少しと、水の上に仰向けに浮くことを覚えたばかりですし、妹はようやく板を離れて二、三間泳ぐこと・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・もとより開墾の初期に草分けとしてはいった数人の人は、今は一人も残ってはいませんが、その後毎年はいってくれた人々は、草分けの人々のあとを嗣いで、ついにこの土地の無料付与を道庁から許可されるまでの成績を挙げてくれられたのです。 この土地の開・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・そうしてそう着実になっているにかわらず、毎年何百という官私大学卒業生が、その半分は職を得かねて下宿屋にごろごろしているではないか。しかも彼らはまだまだ幸福なほうである。前にもいったごとく、彼らに何十倍、何百倍する多数の青年は、その教育を享け・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 父が存生の頃は、毎年、正月の元日には雪の中を草鞋穿でそこに詣ずるのに供をした。参詣が果てると雑煮を祝って、すぐにお正月が来るのであったが、これはいつまでも大晦日で、餅どころか、袂に、煎餅も、榧の実もない。 一寺に北辰妙見宮のましま・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・……毎年顔も店も馴染の連中、場末から出る際商人。丹波鬼灯、海酸漿は手水鉢の傍、大きな百日紅の樹の下に風船屋などと、よき所に陣を敷いたが、鳥居外のは、気まぐれに山から出て来た、もの売で。―― 売るのは果もの類。桃は遅い。小さな梨、粒林檎、・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 喜兵衛は狂歌の才をも商売に利用するに抜目がなかった。毎年の浅草の年の市には暮の餅搗に使用する団扇を軽焼の景物として出したが、この団扇に「景物にふくの団扇を奉る、おまめで年の市のおみやげ」という自作の狂歌を摺込んだ。この狂歌が呼び物とな・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。けっして竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・おじいさんの墓のそばに植えた桜の木は、大きくなって、毎年のくる春には、いつも雪の降ったように花が咲いたのであります。 ある年の春の長閑な日のこと、花の下にあめ売りが屋台を下ろしていました。屋台に結んだ風船玉は空に漂い、また、立てた小旗が・・・ 小川未明 「犬と人と花」
出典:青空文庫