・・・はこれに比すると、量は十分の一にも足らないが、現実は遙かに歪められず自由に掴まれている。 これは、旅順攻囲戦という歴史的な客観的現実を愛国的探照燈で照し出したるが如きものである。客観的な戦争は、探照燈の行った部分だけ青く着色されて映るが・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・に反比する。前のような通俗的のたとえを引けば、人間のエントロピーの増大と「精神的の時」の進みが伴なうと仮定すれば、また一定の物理的エネルギーを与えられた時にその人の「時」の進み方はその人の感覚の鋭鈍によるものと仮定すれば、この場合の「温度」・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・洋装の軍服を着れば如何なる名将といえども、威儀風采において日本人は到底西洋の下士官にも肩を比する事は出来ない。異った人種はよろしく、その容貌体格習慣挙動の凡てを鑑みて、一様には論じられない特種のものを造り出すだけの苦心と勇気とを要する。自分・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・もっとも当体が情であるだけに、知意に比すると比較的抽象化しても物にならんとは限りませんが、これを詳しく説明する余裕がないから略します。 そこでこの種の理想に在っても分化の結果いろいろになりますが、まず標準を云うと、物を通して――物と云う・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・併し夏に比すると頭脳にしまりがあって精神がさわやかな時が多いので夏程に煩悶しないようになった。 正岡子規 「死後」
・・・私はルテルを以て自ら比するものでは無い。ファウストを訳するのは人々の自由である。第一部は既往にも訳した人があった。未来において一層荘重な新訳が出るならば、私もそれを歓迎する一人たることを辞せないだろう。・・・ 森鴎外 「訳本ファウストについて」
出典:青空文庫