・・・客は外套の毛皮の襟に肥った頬を埋めながら、見ると云うよりは、睨むように、狭い店の中へ眼をやった。それから一言の挨拶もせず、如丹と若い衆との間の席へ、大きい体を割りこませた。保吉はライスカレエを掬いながら、嫌な奴だなと思っていた。これが泉鏡花・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・腰へも毛皮を巻いていらっしゃるの?』と言った。ことによると俺の馬の脚も露見する時が来たのかも知れない。……」 半三郎はこのほかにも幾多の危険に遭遇した。それを一々枚挙するのはとうていわたしの堪えるところではない。が、半三郎の日記の中でも・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・絨氈の与える触覚は存外毛皮に近いものだった。「この絨氈の裏は何色だったかしら?」――そんなこともわたしには気がかりだった。が、裏をまくって見ることは妙にわたしには恐しかった。わたしは便所へ行った後、そうそう床へはいることにした。 わたし・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・ 板よりも固い畳の上には所々に獣の皮が敷きつめられていて、障子に近い大きな白熊の毛皮の上の盛上るような座蒲団の上に、はったんの褞袍を着こんだ場主が、大火鉢に手をかざして安座をかいていた。仁右衛門の姿を見るとぎろっと睨みつけた眼をそのまま・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ そんなに、寒い国でありましたから、みんなは、黒い獣の毛皮を着て、働いていました。ちょうど、そのとき、海の上は曇って、あちらは灰色にどんよりとしていました。 すると、たちまち足もとの厚い氷が二つに割れました。こんなことは、めったにあ・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・吉田は猫の鼻が冷たくてその毛皮が戸外の霜で濡れているのをその頬で感じた。すなわち吉田は首を動かしてその夜着の隙間を塞いだ。すると猫は大胆にも枕の上へあがって来てまた別の隙間へ遮二無二首を突っ込もうとした。吉田はそろそろあげて来てあった片手で・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・でも、そこからは、動物の棲家のように、異様な毛皮と、獣油の臭いが発散して来た。 それが、日本の兵卒達に、如何にも、毛唐の臭いだと思わせた。 子供達は、そこから、琺瑯引きの洗面器を抱えて毎日やって来た。ある時は、老人や婆さんがやって来・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ イワンは、口の中で、何かぶつぶつ呟きながら、防寒靴をはき、破れ汚れた毛皮の外套をつけた。「戦争かもしれんて」彼は小声に云った。「打ちあいでもやりだせゃ、俺れゃ勝手に逃げだしてやるんだ。」 戸外では若い馭者が凍えていた。商人は、・・・ 黒島伝治 「橇」
一 十一月に入ると、北満は、大地が凍結を始める。 占領した支那家屋が臨時の営舎だった。毛皮の防寒胴着をきてもまだ、刺すような寒気が肌を襲う。 一等兵、和田の属する中隊は、二週間前、四平街を出発し・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・むくむくした毛皮の外套を豪猪のようにまんまるくなるまで着こまなければならない。左右の手袋は分厚く重く、紐をつけた財布のように頸から吊るしていなければならない。銃は、その手袋の指の間から蝋をなすりつけたようにつるつる滑り落ちた。パルチザンはそ・・・ 黒島伝治 「氷河」
出典:青空文庫