・・・それから一時白い羽織の紐の毛糸か何かの長いのをこう――結んで胸から背負って頸に掛けておった。あれも一人遣るとああなるのであります。私たちの若い時は羽織の紋が一つしきゃないのを着て通人とか何とかいって喜んでいた。それが近頃は五つ紋をつけるよう・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・坊主の除れたフランスのセーラーの被る毛糸帽子。印度の何とか称する貴族で、デッキパッセンジャーとして、アメリカに哲学を研究に行くと云う、青年に貰った、ゴンドラの形と金色を持った、私の足に合わない靴。刃のない安全剃刀。ブリキのように固くなったオ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・堀田は赤い毛糸のジャケツを着ているんだ。物を言う口付きが覚束なくて眼はどこを見ているかはっきりしないで黒くてうるんでいる。今はそれがうしろの横でちらっと光る。そこの松林の中から黒い畑が一枚出てきます。(ああ畑も入ります入ります。遊園・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・元村長をした人の後家のところでは一晩泊って、綿入れの着物と毛糸で編んだ頭巾とを貰った。古びた信玄袋を振って、出かけてゆく姿を、仙二は嫌悪と哀みと半ばした気持で見た。「ほ、婆さま真剣だ。何か呉れそうなところは一軒あまさずっていう形恰だ」・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・廊下では例によってフランスのお爺さんと毛糸屋さんとが特徴のある年よりらしい甲高声で、何とか何とかネスパ? ああウイウイと話しながら往ったり来たりしている。 このごろは、体じゅう引き潮加減ながら調和した感じなのだが、まだ時々、肉体の内にの・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・さしいれのこと、弁護士のこと、毛糸であんだ足袋のこと、いろいろ承知いたしました。お弁当のこと、弁護士のことは、大体私もそのように考えて居りましたから御安心下さい。籍のこと[自注5]ももう余程前からの話なのですが、やっと今度お話になられ、私も・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 輝ちゃんの毛糸のことは本当にいい思い付きです。あなたのジャケツは私の唯一の避難用下着だから、私ので送れるのを工面致しましょう。これで誘われて、世田谷の子供達にも毛糸をやろうと思いつきました。和服で育っていても調法だから。そちらへも広島・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 昨日御注文のアンダアシャツ早速はからいます。毛糸の寒中用のももひきジャケツは、今年御新調です。柔く軽いが、これまでのものより上等です。今栄さんが編んでいます。夜着はお気に入りましたか? 割合心持よい色の工合でしょう。 この間は田村・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・頭から白い毛糸肩掛をかぶった日本女が、唇の端から細いゴム管をたらしてねたまま横目で猫を見ていた。 寝台の横には楕円形のテーブルが置いてある。首がガクつくのをガーゼで巻いてある真鍮の呼鈴、一緒に、アスパラガスに似た鉢植が緑の細かい葉をふっ・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・自分は正直に白状するが去年美術院の展覧会で初めてルノアルの原画を見たときにも、岸田君の不思議に美しい「毛糸肩掛せる麗子像」を見た時ほどは動かされなかった。 が、自分はここで岸田君の画を批評しようとするのではない。ただ、君の近著の『芸術観・・・ 和辻哲郎 「『劉生画集及芸術観』について」
出典:青空文庫