・・・しかし歴史はいまだかつて、如何なる人の伝記についても、殷々たる鐘の声が奮闘勇躍の気勢を揚げさせたことを説いていない。時勢の変転して行く不可解の力は、天変地妖の力にも優っている。仏教の形式と、仏僧の生活とは既に変じて、芭蕉やハアン等が仏寺の鐘・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・ 話が興味の中心に近いて来ると、いつでも爺さんは突然調子を変え、思いもかけない無用なチャリを入れてそれをば聞手の群集から金を集める前提にするのであるが、物馴れた敏捷な聞手は早くも気勢を洞察して、半開きにした爺さんの扇子がその鼻先へと差出・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ 僕は相手の気勢を挫くつもりで、その言出すのを待たず、「お金のはなしじゃないかね。」というと、お民は「ええ。」と顎で頷付いて、「おぼし召でいいんです。」と泰然として瞬き一ツせず却て僕の顔を見返した。「おぼし召じゃ困るね。いくらほしい・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 外からの気勢では到って静かだ。ソーッとあけて見た。いる! いる! つき当りの壁から左へ鍵のてに卓子が並んで、真中に赤い鼻の丸まっちい「ラップ」の作家タラソフ・ロディオーノフが、鳥打帽かぶって、黄色っぽいレイン・コートをひっかけたま・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・中で起きている気勢なので声をかけ、開けて貰った。鑵づめはなく、「これがよろしいでしょう、お湯を煮たててお入れになれば直です、イタリーのですから品はいい品です。フランスのは太いですが、イタリーのは細くてずっとおいしゅうござんす」 この・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・低空飛行をやっていると見えて、プロペラの轟音は焙りつけるように強く空気を顫わし、いかにも悠々その辺を旋回している気勢だ。 私は我知らず頭をあげ、文明の徴証である飛行機の爆音に耳を傾けた。快晴の天気を語るように、留置場入口のガラス戸にペン・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・私は本を読んで熱中していたのだが背後のその気勢は素早く感じ、振向いて立ち、二足ばかりで夜具のところに達した。手紙は一人の友達からであった。箱根の山へピクニックしたことも書いてあり、山の上に憩ありというゲーテの詩など感想にふくめて書かれている・・・ 宮本百合子 「写真」
・・・つい、二三日前、この気勢に一つの刺戟を与えるような実例があった。東京板橋の区民が、食糧管理委員会を組織し、板橋の造兵廠内に隠匿されてあった食糧を発見、それを区民に特別分配した。新聞は、群集した区民に向って、気前よく米、麦、大豆、乾パン類を分・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
・・・ーナリズムの上をほとんど独占しているかのように見える、直木三十五などを筆頭とする大衆文学と陸軍新聞班を中心として三上於菟吉などがふりまくファッシズム文学とに対抗してあげられたブルジョア純文学作家たちの気勢であったとも見られる。 この気運・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ ――おや、微な気勢が近づいて来る。私になじみのあるものらしい――。イオイナの使者、一片の花弁のように軽く、女神の傍に降る。使者 およろこび下さい。女神様。そろそろ貴女のお力の効験が現れて来ました。災厄が余り突然やって・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫