・・・ 大川の流れを見るごとに、自分は、あの僧院の鐘の音と、鵠の声とに暮れて行くイタリアの水の都――バルコンにさく薔薇も百合も、水底に沈んだような月の光に青ざめて、黒い柩に似たゴンドラが、その中を橋から橋へ、夢のように漕いでゆく、ヴェネチアの・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・昔は天が下の人間も皆心から水底には竜が住むと思うて居った。さすれば竜もおのずから天地の間に飛行して、神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。が、予に談議を致させるよりは、その方どもの話を聞かせてくれい。次は行脚の法師の番じゃな。「何、・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・早や、これでは、玄武寺を倒に投げうっても、峰は水底に支えまい。 蘆のまわりに、円く拡がり、大洋の潮を取って、穂先に滝津瀬、水筋の高くなり行く川面から灌ぎ込むのが、一揉み揉んで、どうと落ちる……一方口のはけ路なれば、橋の下は颯々と瀬になっ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・「……諏訪――の海――水底、照らす、小玉石――手には取れども袖は濡さじ……おーもーしーろーお神楽らしいんでございますの。お、も、しーろし、かしらも、白し、富士の山、麓の霞――峰の白雪。」「それでは、お富士様、お諏訪様がた、お目か・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・の影、真鯉の姿も小波の立つ中に美しく、こぼれ松葉の一筋二筋辷るように水面を吹かれて渡るのも風情であるから、判事は最初、杖をここに留めて憩ったのであるが、眩いばかり西日が射すので、頭痛持なれば眉を顰め、水底へ深く入った鯉とともにその毛布の席を・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・――紫玉は、中高な顔に、深く月影に透かして差覗いて、千尋の淵の水底に、いま落ちた玉の緑に似た、門と柱と、欄干と、あれ、森の梢の白鷺の影さえ宿る、櫓と、窓と、楼と、美しい住家を視た。「ぬしにもなって、この、この田舎のものども。」 縋る・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 遠くで、内井戸の水の音が水底へ響いてポタン、と鳴る。不思議に風が留んで寂寞した。 見上げた破風口は峠ほど高し、とぼんと野原へ出たような気がして、縁に添いつつ中土間を、囲炉裡の前を向うへ通ると、桃桜溌と輝くばかり、五壇一面の緋毛氈、・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・「自分の生活が壊れてしまえばほんとうの冷静は来ると思う。水底の岩に落ちつく木の葉かな。……」「丈草だね。……そうか、しばらく来なかったな」「そんなこと。……しかしこんな考えは孤独にするな」「俺は君がそのうちに転地でもするよう・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・沖はよく和ぎて漣の皺もなく島山の黒き影に囲まれてその寂なるは深山の湖水かとも思わるるばかり、足もとまで月影澄み遠浅の砂白く水底に光れり。磯高く曳き上げし舟の中にお絹お常は浴衣を脱ぎすてて心地よげに水を踏み、ほんに砂粒まで数えらるるようなと、・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・ 柳の間をもれる日の光が金色の線を水の中に射て、澄み渡った水底の小砂利が銀のように碧玉のように沈んでいる。 少年はかしこここの柳の株に陣取って釣っていたが、今来た少年の方を振り向いて一人の十二、三の少年が『檜山! これを見ろ!』・・・ 国木田独歩 「河霧」
出典:青空文庫