・・・ 旅商人の脊に負える包の中には赤きリボンのあるか、白き下着のあるか、珊瑚、瑪瑙、水晶、真珠のあるか、包める中を照らさねば、中にあるものは鏡には写らず。写らねばシャロットの女の眸には映ぜぬ。 古き幾世を照らして、今の世にシャロットにあ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・橋守に問えば水晶巌なりと答う。 水晶のいはほに蔦の錦かな 南条より横にはいれば村社の祭礼なりとて家ごとに行燈を掛け発句地口など様々に書き散らす。若人はたすきりりしくあやどりて踊り屋台を引けば上にはまだうら若き里のおとめの舞いつ踊・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・変てこな鼠いろのマントを着て水晶かガラスか、とにかくきれいなすきとおった沓をはいていました。それに顔と云ったら、まるで熟した苹果のよう殊に眼はまん円でまっくろなのでした。一向語が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。「外国人だ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の珠数をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈っているのでした。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ その水晶の笛のような声に、嘉十は目をつぶってふるえあがりました。右から二ばん目の鹿が、俄かにとびあがって、それからからだを波のようにうねらせながら、みんなの間を縫ってはせまわり、たびたび太陽の方にあたまをさげました。それからじぶんのと・・・ 宮沢賢治 「鹿踊りのはじまり」
・・・ その晩は銀映座で、本の包を膝の上に置きながら、私は、目を瞠って、ロンドンの水晶宮焔上の光景を観た。 数年前の夏の夜、その水晶宮に花火祭があって、私は小さい妹をつれて、それを見物した。そのガラスづくりの巨大な建物が、銀幕の上で燃えと・・・ 宮本百合子 「映画」
・・・先生、先生は、月夜に立ちのぼる水の、不思議に蠱惑的な薫りを御存じでございますか、扁平な櫂に当って転げる水玉の、水晶を打つ繊細な妙音を御存じでございますか。―― けれども、自然は決して単調な議事ではございません。時には息もつまるような大暴・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・しかしながら、当時の人々が芸にとらわれてゆく心理は、小林秀雄の評論にも、横光利一の小説論にも、また川端康成が「水晶幻想」に赴いた足取りの中にも十分窺えることであった。「文章読本」の流行が始まった。 芸への愛好を伴う現実批判の衰退は随筆の・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 一目見た時に銀に見える色も雲のあつい所は燻し銀の様に又は銀の箔の様にちっとも雲のない様な所には銀を水晶で包んだ輝きを持って居る。 太陽のよくさす部分は銀器を日向で見る様にこまかい五色の色の分るのが有るのさえわかる。 紺青の色も・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
出典:青空文庫