・・・ 豹吉のは氷河の氷に通じ、意表の表に通ずる、といえば洒落になるが、彼は氷のような冷やかな魂を持ち、つねにひとびとの意表を突くことにのみ、唯一の生甲斐を感じている、風変りな少年だった。 自分はいかなることにも驚かぬが、つねに人を驚かす・・・ 織田作之助 「夜光虫」
ウェルダアの桜 大きな河かと思うような細長い湖水を小蒸気で縦に渡って行った。古い地質時代にヨーロッパの北の半分を蔽っていた氷河が退いて行って、その跡に出来た砂原の窪みに水の溜ったのがこの湖とこれに連なる沢・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・のごときは元来実写を主題にしたものであろうが、軒のつららのものうい雫に悠久の悲しみを物語らせ、なべの中に溶け行く雪塊に運命の不思議を歌わせ、氷河の上に映る飛行機の影に山の高さを示揚させたりするのも他の例である。しかし写実を目的としない劇的映・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 手近な例を取ってみても、ファーブルの昆虫記や、チンダルの氷河記を読む人は、その内容が科学であると同時に芸術であることを感得するであろう。ダーウィンの「種の始源」はたしかに一つの文学でもある。ウェーゲナーの「大陸移動論」は下手の小説より・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・スイスの湖水と氷河の幻はそれから約二十年の間自分につきまとっていた。そうしてとうとう身親しくその地をおとずれる日が来たのであったが、その時からまたさらに二十年を隔てた今の自分には、この油絵のスイスと、現実に体験したスイスとの間の差別の障壁は・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・それでもモンブランの氷河を見に行った日は天気がよくておもしろうございました。寒暖計を一本下げて気温を測ったりして歩きました。つるはしのような杖をさげて繩を肩にかついだ案内者が、英語でガイドはいらぬかと言うから、お前は英語を話すかときくと、い・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ だんだん山が険しくなって、峰ははげた岩ばかりになり、谷間の樅やレルヘンの木もまばらになり、懸崖のそこかしこには不滅の雪が小氷河になって凍った滝のようにたれ下がっていた。サンゴタールのトンネルを通ってから食堂車にはいるとまもなくフィヤワ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・いつか、カナダのタール教授が来て氷河に関する話をしたときなど、ペンクは色々とディスクシオンをしながら自分などにはよく分らぬ皮肉らしいことを云って相手を揶揄しながら一座を見渡してにやりとするという風であった。 ペンクの講義は平明でしかも興・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・これによると、最後の氷河期の氷河が崑崙の北麓に押し出して来て今のコータンの近くに堆石の帯を作っている。この氷河が消失して、従って新疆地方に灌漑する川々の水量が少なくなり、そのために土壌がかわき上がって今のような不毛の地になったらしい。この地・・・ 寺田寅彦 「ロプ・ノールその他」
・・・ごらんそら、氷河ね、氷河が海にはいるねえ、あれで少しずつ押されてだんだん喰み出してるんだよ、そしてとうとう氷河から断れて氷山にならあね。あっちは? あっちが英国さ、ここはもう地球の頂上だからどっちへ行くたって近いやね、少し間違えば途方もない・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
出典:青空文庫