・・・ すぐここには見えない、木の鳥居は、海から吹抜けの風を厭ってか、窪地でたちまち氾濫れるらしい水場のせいか、一条やや広い畝を隔てた、町の裏通りを――横に通った、正面と、撞木に打着った真中に立っている。 御柱を低く覗いて、映画か、芝居の・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・という名目で随分氾濫したし、「工場に咲いた花」「焼跡で花を売る少女」などという、いわゆる美談佳話製造家の流儀に似てはいないだろうか。 蛍の風流もいい。しかし、風流などというものはあわてて雑文の材料にすべきものではない。大の男が書くのであ・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・町にも村にも丸刈りが氾濫して、猫も杓子も丸坊主、丸坊主でなければ人にあらずという風景が描き出された。 このような時に依然として長髪を守って行くことは相当の覚悟を要した。が、私は義憤の髪の毛をかきむしるためにも、長髪でおらねばならないと思・・・ 織田作之助 「髪」
・・・これは豪雨のときに氾濫する虞れの多い溪の水からこの温泉を守る防壁で、片側はその壁、片側は崖の壁で、その上に人々が衣服を脱いだり一服したりする三十畳敷くらいの木造建築がとりつけてあった。そしてこれが村の人達の共同の所有になっているセコノタキ温・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・然るに『書經』は支那のあらゆる河川が堯の時以來氾濫し居たりしに、禹はその一代に之を治したりと傳ふ。かくの如きも事實として肯定し得らるべきか。 これ傳説の傳説たる所以にして、堯は天に、舜は人に、禹は地に、即ちかの三才の思想に假托排列せられ・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・「やたらに煩瑣で、そうして定理ばかり氾濫して、いままでの数学は、完全に行きづまっている。一つの暗記物に堕してしまった。このとき、数学の自由性を叫んで敢然立ったのは、いまのその、おじいさんの博士であります。えらいやつなんだ。もし探偵にでもなっ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ああ、この、だらしない恋情の氾濫。いったい、私は、何者だ。「センチメンタリスト。」おかしくもない。 ことしの春、妻とわかれて、私は、それから、いちど恋をした。その相手の女のひとは、私を拒否して、言うことには、「あなたは、私ひとりのも・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・一日、一日、カク手ガ氾濫シテ来テ、何ヲ書イテモ、ドンナニ行儀ワルク書イテモ、ドンナニ甘ッタレテ書イテモ、ソレガ、ソンナニ悪イ文章デナシ、ヒトトオリ、マトマリ、ドウニカ小説、佳品、トシテノ体ヲ為シテイル様、コレハ危イ。スランプ。打チサエスレバ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・女性の皮膚感触の過敏が、氾濫して収拾できぬ触覚が、このような二、三の事実からでも、はっきりと例証できるのである。或る映画女優は、色を白くする為に、烏賊のさしみを、せっせとたべているそうである。あくまで之を摂取すれば、烏賊の細胞が彼女の肉体の・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟は残らず浪に・・・ 太宰治 「走れメロス」
出典:青空文庫