・・・道端に荷をおろしている食物売の灯を見つけ、汁粉、鍋焼饂飩に空腹をいやし、大福餅や焼芋に懐手をあたためながら、両国橋をわたるのは殆毎夜のことであった。しかしわたくしたち二人、二十一、二の男に十六、七の娘が更け渡る夜の寒さと寂しさとに、おのずか・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ 戦争前、カフェー汁粉屋その他の飲食店で、広告がわりに各店で各意匠を凝したマッチを配布したことがある。これを取り集めて丁寧に画帖に貼り込んだものを見たことがあった。当時の世の中を回顧するにはよい材料である。戦後文学また娯楽雑誌が挿絵とい・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・実はぜんざいの何物たるかをさえ弁えぬ。汁粉であるか煮小豆であるか眼前に髣髴する材料もないのに、あの赤い下品な肉太な字を見ると、京都を稲妻の迅かなる閃きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜のごとく干枯びて死んでしまった。・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・ 鳶の頭と店の者とが八九人、今祝めて出て行ッたばかりのところで、小万を始め此糸初紫初緑名山千鳥などいずれも七八分の酔いを催し、新造のお梅まで人と汁粉とに酔ッて、頬から耳朶を真赤にしていた。 次の間にいたお梅が、「あれ危ない。吉里さん・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・も「達磨汁粉」も家は提灯に隠れて居る。瓦斯燈もあって、電気燈もあって、鉄道馬車の灯は赤と緑とがあって、提灯は両側に千も万もあって、その上から月が照って居るという景色だ。実に奇麗で実に愉快だ。自分はこの時五つか六つの子供に返りたいような心持が・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ような訳ですが手前の処はやはりお古い処で御勘弁を願いますような訳で、たのしみはうしろに柱前に酒左右に女ふところに金とか申しましてどうしてもねえさんのお酌でめしあがらないとうまくないという事で、私などの汁粉党には一向分りませんが、ゲーッアー愉・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・闇市場では、ミカンや汁粉は、とぶようにうれて、やすいものは売れないと、新聞は報じている。やすいものといっても、十五円のものが十円に下った程度であるとも報じられている。 水道十二倍、ガス六倍の値上げが予告されている。私たちの眼は、大きく大・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・外廻りには茶店が出来ている。汁粉屋がある。甘酒屋がある。赤い洞の両側には見せ物小屋やらおもちゃ店やらが出来ている。洞を潜って社に這入ると、神主がお初穂と云って金を受け取って、番号札をわたす。伺を立てる人をその番号順に呼び入れるのである。・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫