・・・ とその四冊を持って立つと、「路が悪い、途中で落して汚すとならぬ、一冊だけ持って来さっしゃい、また抱いて寝るのじゃの。」 と祖母も莞爾して、嫁の記念を取返す、二度目の外出はいそいそするのに、手を曳かれて、キチンと小口を揃えて置い・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ この小湖には俗な名がついている、俗な名を言えば清地を汚すの感がある。湖水を挟んで相対している二つの古刹は、東岡なるを済福寺とかいう。神々しい松杉の古樹、森高く立ちこめて、堂塔を掩うて尊い。 桑を摘んでか茶を摘んでか、笊を抱えた男女・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・純良な、世間知らずの学生がこの種の女に引っかかって、あたら青春の記憶を汚す例は少なくない。そのくらいではすまず、かなり大きな傷と負担を背負わされることがある。ことに妊娠というようなことにでもなれば、抜き差しならぬ破目に陥ることがある。これは・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・甚だ概念的で、また甘ったるく、原作者オイレンベルグ氏の緊密なる写実を汚すこと、おびただしいものであることは私も承知して居ります。けれども、原作は前回の結尾からすぐに、『この森の直ぐ背後で、女房は突然立ち留まった。云々。』となっているのであり・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・おのれのスパルタを汚すよりは、錨をからだに巻きつけて入水したいものだとさえ思っている。 さもあらばあれ、「晩年」一冊、君のその両手の垢で黒く光って来るまで、繰り返し繰り返し愛読されることを思うと、ああ、私は幸福だ。――一瞬間。ひとは、そ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 大学教授連盟とかいう自分にはあまり耳慣れない名前の団体から、このような芝居は教育界の神聖を汚すものだと言って厳重な抗議があったので、それに義理を立てるためにこのアーメンを付加したのだといううわさがある。これも後世の参考と興味のために記・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しかし、それでもいいからと云われるので、ではともかくもなるべくよく読み返してみてからと思っているうちに肝心な職務上の仕事が忙しくて思うように復習も出来ず、結局瑣末な空談をもって余白を汚すことになったのは申訳のない次第である。読者の寛容を祈る・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・浅草へ行く積りであったがせっかく根岸で味おうた清閑の情を軽業の太鼓御賽銭の音に汚すが厭になったから山下まで来ると急いで鉄道馬車に飛乗って京橋まで窮屈な目にあって、向うに坐った金縁眼鏡隣に坐った禿頭の行商と欠伸の掛け合いで帰って来たら大通りの・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・その時余は大概四十何人の席末を汚すのが例であったのに、先生はきぜんとして常に二三番を下らなかったところをもって見ると、頭脳は余よりも三十五六枚方明晰に相違ない。その津田君が躍起になるまで弁護するのだから満更の出鱈目ではあるまい。余は法学士で・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・もしこれが両方とも同じ程度に汚すのであるならば、学校の床を汚す面積は靴の方が下駄より遥かに偉大である、だから私はその下駄で差支ないということを切りに主張したが、どうも文部省の当局が分らないから、それでやむをえずああいう貼出しをした。それじゃ・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
出典:青空文庫