・・・汝は安心してその決行ができるかと問うて見る。自分の心は即時に安心ができぬと答えた。いよいよ余儀ない場合に迫って、そうするより外に道が無かったならばどうするかと念を押して見た。自分の前途の惨憺たる有様を想見するより外に何らの答を為し得ない。・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ただひたすらその決行を壮なりと思えるがごとし。 女の解し難きものの一をわが青年倶楽部の壁内ならでは醸さざる一種の気なりといわまほし。今の時代の年若き男子一度この裡に入りて胸を開かばかれはその時よりして自由と人情との友なるべし。さてさらに・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 大正×年九月、A鉱山では、四千名の坑夫が罷業を決行した。女房たちは群をなして、遠く、東京のT男爵邸前に押しよせた。K鉱山でもJ鉱山でも、卑屈にペコ/\頭を下げることをやめて、坑夫は、タガネと槌を鉱山主に向って振りあげた。アメリカでも、・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・「ひと寝いりしてから、出発だ。決行、決行。」 嘉七は、自分の蒲団をどたばたひいて、それにもぐった。 よほど酔っていたので、どうにか眠れた。ぼんやり眼がさめたのは、ひる少し過ぎで、嘉七は、わびしさに堪えられなかった。はね起きて、す・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・柔らかい牛肉も魚のさし身もろくにかめなくなり、おしまいには米の飯さえ満足に咀嚼することが困難になったので、とうとう思い切って根本的に大清算を決行して上下の入れ歯をこしらえたのが四十余歳のころであった。上あごの硬口蓋前半をぴったりふたをしてし・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・どういうわけかはわからないが、この自分はもう数分の後には、別室に入って、自分からは希望しない自殺を決行しなければならないことになっている。その座敷というのがこっちからよく見える。大きな川に臨んだ見晴らしのいいきれいな部屋で、川向こうに見える・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・とこうは思ったものの、さて自分は臆病だ、そんならと云うてこれを決行することが出来なかった。何故かと云うに、ジュコーフスキー流にやるには、自分に充分の筆力があって、よしや原詩を崩しても、その詩想に新詩形を附することが出来なくてはならぬのだが、・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・其点がはっきりしてこそ、早苗が、只、敵方に騙り寄せられた城将の妻が古来幾度か繰返したような自裁を決行したのか、又は彼女が云うように、国や命を賭けた戦を、彼女の命で裁かれたのか、歴然と一方に事実として照し出されたのではあるまいかと思うのである・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・内外的原因によって過った結婚をし人間としてその異性との生活が、救済の余地無い程の破綻を生じた場合、より以上の不正、人格的堕落を防止する為には、強制的、又相互的離婚を決行するよりほかありますまい。 従来の誤った結婚観念、習慣、制度を改正し・・・ 宮本百合子 「心ひとつ」
・・・ それをまだ疵がすっかり癒着もしない内からかなり遠い大学から林町までの徒歩を許すと云う事は考えられない事であり又我々なら許されたとて容易に決行する勇気は持たなかったに違いない。 私共が一旦病気になって生き様と云う願望が激しく燃え上っ・・・ 宮本百合子 「追憶」
出典:青空文庫