・・・ 謙三郎はいかんとも弁疏なすべき言を知らず、しばし沈思して頭を低れしが、叔母の背をば掻無でつつ、「可うございます。何とでもいたしてきっと逢って参りましょう。」 謂われて叔母は振仰向き、さも嬉しげに見えたるが、謙三郎の顔の色の尋常・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・断行するにも沈思するにも精いっぱいできる。感情も意志も知力もその能を尽くすべき時である。冬はいじけ春はだらけ夏はやせる人でも、この季節ばかりは健康と精力とを自覚するだろう。それで季節が季節だけに自分のウォーズウォルス詩集に対する心持ちがやや・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ と、次郎は沈思するように答えて、ややしばらく物も言わずに、私のそばを離れずにいた。 四月にはいって、私は郷里のほうに太郎の新しい家を見に行く心じたくを始めていた。いよいよ次郎も私の勧めをいれ、都会を去ろうとする決心がついたので・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・大塚さんは沈思を破られたという風で、誰にも逢いたくないと言って、用事だけ聞いて置くようにとその書生に吩咐けた。「いずれ会社のものを伺わせます、その節は電話で申上げますッて、そう言ってくれ給え」 と附添えて言った。大塚さんが客を謝ると・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・ろして考えに考え抜いた揚句の果の質問らしく、誠実あふれ、いかにもして解き聞かせてもらいたげの態度なれば、先輩も面くらい、そこのところがわかればねえ、などと呟き、ひどく弱って、頭をかかえ、いよいよ腐って沈思黙考、地平は知らず、きょとんと部屋の・・・ 太宰治 「喝采」
・・・極でもない、智慧の果でもない、狂乱でもない、阿呆感でもない、号泣でもない、悶悶でもない、厳粛でもない、恐怖でもない、刑罰でもない、憤怒でもない、諦観でもない、秋涼でもない、平和でもない、後悔でもない、沈思でもない、打算でもない、愛でもない、・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・その言葉は、エホバをさえ沈思させたにちがいない。もちろん世界の文学にも、未だかつて出現したことがなかった程の新しい言葉であった。「いいえ、」少女は眼を挙げて答えた。「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました。」・・・ 太宰治 「花火」
・・・何か自分に根本的な欠陥があるのではないか、と沈思の末、はたと膝を打った。武術! これであります。私は男子の最も大事な修行を忘れていたのでした。男子は、武術の他には何も要らない。男子の一生は戦場です。諸君が、どのような仕事をなさるにしても、腕・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・その辮髪は、支那人の背中の影で、いつも嘆息深く、閑雅に、憂鬱に沈思しながら、戦争の最中でさえも、阿片の夢のように逍遥っていた。彼らの姿は、真に幻想的な詩題であった。だが日本の兵士たちは、もっと勇敢で規律正しく、現実的な戦意に燃えていた。彼ら・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・また、著述書の如きも、近来、世に大部の著書少なくして、ただその種類を増し、したがって発兌すれば、したがって近浅の書多しとは、人のあまねく知るところなるが、その原因とて他にあらず、学者にして幽窓に沈思するのいとまを得ざるがためなり。 けだ・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
出典:青空文庫