・・・その第一回は美妙の裸蝴蝶で大分前受けがしたが、第二回の『於母影』は珠玉を満盛した和歌漢詩新体韻文の聚宝盆で、口先きの変った、丁度果実の盛籠を見るような色彩美と清新味で人気を沸騰さした。S・S・Sとは如何なる人だろう、と、未知の署名者の謎がい・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・折から閣員の一人隈山子爵が海外から帰朝してこの猿芝居的欧化政策に同感すると思いの外慨然として靖献遺言的の建白をし、維新以来二十年間沈黙した海舟伯までが恭謹なる候文の意見書を提出したので、国論忽ち一時に沸騰して日本の危機を絶叫し、舞踏会の才子・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・かれが沸騰せし心の海、今は春の霞める波平らかに貴嬢はただ愛らしき、あわれなる少女富子の姿となりてこれに映れるのみ。されどかれも年若き男なり、時にはわが語る言葉の端々に喚びさまされて旧歓の哀情に堪えやらず、貴嬢がこの姿をかき消すこともあれど、・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・湯の沸騰るを待つ間は煙草をパクパク吹していたが「どう痛むんだ」 返事がないので、磯は丸く凸起った布団を少時く熟と視ていたが「オイどう痛むんだイ」 相変らず返事がないので磯は黙って了った。その中湯が沸騰て来たから例の通り氷のよ・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・スクリュウに捲き上げられ沸騰し飛散する騒騒の迸沫は、海水の黒の中で、鷲のように鮮やかに感ぜられ、ひろい澪は、大きい螺旋がはじけたように、幾重にも細かい柔軟の波線をひろげている。日本海は墨絵だ、と愚にもつかぬ断案を下して、私は、やや得意になっ・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ふっと呪文が、とぎれた、と同時に釜の中の沸騰の音も、ぴたりと止みましたので、王子は涙を流しながら少し頭を挙げて、不審そうに祭壇を見た時、嗚呼、「ラプンツェル、出ておいで。」という老婆の勝ち誇ったような澄んだ呼び声に応えて、やがて現われた、ラ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・妻が抱き上げて顋の下や耳のまわりをかいてやると、胸のあたりで物の沸騰するような音を立てた。猫が咽喉を鳴らすとか、ゴロゴロいうとかいう事は書物や人の話ではいくらでも知っていたが、実験するのは四十幾歳の今が始めてである。これが喜びを表わす兆候で・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・鍋はあるとした上でも、これだけのものを沸騰させ煮つめるだけの「燃料」を自分は貯えてあるだろうか。 この点に考え及ぶと私は少し心細くなる。 厄年の関を過ぎた私は立止ってこんな事を考えてみた。しかし結局何にもならなかった。厄年という・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・この一条については下士の議論沸騰したれども、その首魁たる者二、三名の家禄を没入し、これを藩地外に放逐して鎮静を致したり。 これ等の事情を以て、下士の輩は満腹、常に不平なれども、かつてこの不平を洩すべき機会を得ず。その仲間の中にも往々才力・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・神代の水も華氏の寒暖計二百十二度の熱に逢うて沸騰し、明治年間の水もまた、これに同じ。西洋の蒸気も東洋の蒸気も、その膨脹の力は異ならず。亜米利加の人がモルヒネを多量に服して死すれば、日本人もまた、これを服して死すべし。これを物理の原則といい、・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
出典:青空文庫