ある雨の降る日の午後であった。私はある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した。発見――と云うと大袈裟だが、実際そう云っても差支えないほど、この画だけは思い切って彩光の悪い片隅に、それも恐しく貧弱な縁へはいって、忘れ・・・ 芥川竜之介 「沼地」
・・・ あちらの壁に、海を描いた、油絵がかかっていました。白い鳥が、波の上を飛んでいました。正吉くんは、どこかで見たような景色だと思いました。あるいは、自分が生まれる前の世界であったかもしれません。そのそばに、マンドリンがかかっていました。・・・ 小川未明 「少年と秋の日」
・・・ そして、寝台の枕元の壁には、安っぽい裸体画の油絵の額が掛っている。わざと裸体画を選んだのであろう。 たしかに苦笑せざるを得なかった。 経営者はこの部屋の使用される目的にふさわしいように、そんな額を掛けたのに違いない。 そし・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ちょうど三郎も作画に疲れたような顔をして、油絵の筆でも洗いに二階の梯子段を降りて来た。「御覧、お前たちがみんなでかじるもんだから、とうさんの脛はこんなに細くなっちゃった。」 私は二人の子供の前へ自分の足を投げ出して見せた。病気以来肉・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・次郎も兄の農家を助けながら描いたという幾枚かの習作の油絵を提げて出て来たが、元気も相変わらずだ。亡くなった本郷の甥とは同い年齢にも当たるし、それに幼い時分の遊び友だちでもあったので、その告別式には次郎が出かけて行くことになった。「若くて・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・灯火に見れば、油絵のような艶かな人である。顔を少し赤らめている。「あしが一番あん」と章坊が着物を引っ抱えて飛びだすと、入れ違いに小母さんがはいってきて、シャツの上から着物を着せかけてくれる。「さ、これをあげましょう」と下締を解く・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・白い壁に、罌粟の花の油絵と、裸婦の油絵が掛けられている。マントルピイスには、下手な木彫が一つぽつんと置かれている。ソファには、豹の毛皮が敷かれてある。椅子もテエブルも絨氈も、みんな昔のままであった。私は洋室をぐるぐると歩きまわり、いま涙を流・・・ 太宰治 「故郷」
・・・尤この頃自分で油絵のようなものをかいているものだから、色々の人の絵を見ると、絵のがらの好き嫌いとは無関係な色々のテクニカルな興味があるのである。実際どれを見ても、当り前な事だが、みんな自分よりは上手な人ばかりである。しかしその上手な点を「頭・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・紋付きを着て撮った写真や、それをモデルにしてかいた油絵などを見ても、なんだかほんとうの祖母らしく思われないが、ただ記憶の印象だけに残っているこの「糸車の祖母像」は没後四十六年の今日でも実に驚くべき鮮明さをもって随時に眼前に呼び出される。・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・こういう短命なものを批評するのと、彫刻や油絵のような長持ちのするものを批評するのとでは、批評の骨の折れ方もちがうわけである。一週間映写されたきりでおそらくまず二度とは見られる気づかいのないような映画を批評するのなら、何を言っておいてもあとに・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
出典:青空文庫