・・・――堀川君、君は伝熱作用の法則を知っているかい?」「デンネツ? 電気の熱か何かかい?」「困るなあ、文学者は。」 宮本はそう云う間にも、火の気の映ったストオヴの口へ一杯の石炭を浚いこんだ。「温度の異なる二つの物体を互に接触せし・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・惰力の法則はいつのまにか苦痛という意識さえ奪ってしまった。彼は毎日無感激にこの退屈そのものに似た断崖の下を歩いている。地獄の業苦を受くることは必ずしも我々の悲劇ではない。我々の悲劇は地獄の業苦を業苦と感ぜずにいることである。彼はこう云う悲劇・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
新らしき声のもはや響かずなった時、人はその中から法則なるものを択び出ず。されば階級といい習慣といういっさいの社会的法則の形成せられたる時は、すなわちその社会にもはや新らしき声の死んだ時、人がいたずらに過去と現在とに心を残し・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ その歩行や、この巡査には一定の法則ありて存するがごとく、晩からず、早からず、着々歩を進めて路を行くに、身体はきっとして立ちて左右に寸毫も傾かず、決然自若たる態度には一種犯すべからざる威厳を備えつ。 制帽の庇の下にものすごく潜める眼・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・幸いこの画は地震の禍いをも受けずに今なお残っているが、画が画だからマジメに伝統の法則を守った作で、椿岳独自の画境を見る事は出来ない。が、椿岳の画の深い根柢や豪健な筆力を窺う事が出来る大作である。 この本堂の内陣の土蔵の扉にも椿岳の麒麟と・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それだからもしわれわれがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」というこういう考えであります。その考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれど・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・人間の生活が、科学の法則のみによって支配されるものでないからである。そして、永久に、説明しつくされざる何ものかを残しているためである。 このことは、自己を認識すること、いよ/\深ければ、深い程、思いあたるにちがいない。即ち科学の外に、芸・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
・・・風景は絶えず重力の法則に脅かされていた。そのうえ光と影の移り変わりは溪間にいる人に始終慌しい感情を与えていた。そうした村のなかでは、溪間からは高く一日日の当るこの平地の眺めほど心を休めるものはなかった。私にとってはその終日日に倦いた眺めが悲・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・ すなわち一つは宇宙の生命の法則の見地から見て、かりのきめであって、固執すると無理があるということだ。も一つはたとい多少の無理を含んでいても、進化してきた人間の理想として、男女の結合の精神的、霊的指標として打ち立て、築き守って、行くべき・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
出典:青空文庫