・・・人格の乏しい絵だといって、何も泥棒が絵描になっているというような訳ではない。そういう侮辱の意味じゃない。けれども尊敬した意味じゃ無論ない。大変どうも頭が――何といって宜いか――気高いというものがない。御覧になっても分る。気高いということは富・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・喧嘩なら喧嘩、泥坊なら泥坊とな」「そりゃ分らねえ、分らねえ筈だ、未だ事が持ち上らねえからな、だが二分は持ってるだろうな」 私はポケットからありったけの金を攫み出して見せた。 もうこれ以上飲めないと思って、バーを切り上げて来たんだ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・何しろ奴等にゃどいつもこいつも泥坊に見えるんだからね」 彼は、ベンチへ横になった。そして自分の寝ているベンチと並んでいる、外のベンチを検べて見た。頭を掻くような恰好をした。と、彼はもう帽子を被っていた。麦藁帽であった。彼の手が、ブルッと・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ M署の高等係中村は、もう、蚊帳の外に腰を下して、扇子をバタバタ初めていた。「今時分、何の用事だい? 泥棒じゃあるめえし、夜中に踏み込まなくたって、逃げも隠れもしやしねえよ」 吉田は、そう考えることによって、何かのいい方法を――・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・食い殺すぞ。泥棒め」 まるで口が横に裂けそうです。 ホモイはこわくなってしまって、いちもくさんにおうちへ帰りました。今日はおっかさんも野原に出て、うちにいませんでした。 ホモイはあまり胸がどきどきするので、あの貝の火を見ようと函・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・ ははあ、こいつはきっと泥棒だ、そうでなければにせ金使い、しかし何でもかまわない、万一途中相果てたなれば、金はごろりとこっちのものと、六平はひとりで考えて、それからほくほくするのを無理にかくして申しました。「へい。へい。よろしゅうご・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・自分がトンマですりに会って、シベリア鉄道の沿線に泥棒の名所があるなんて逆宣伝して貰っちゃ困るわよ。 ――大丈夫さ! 心得ている。 暗くなってヴャトカへ着いた。ここはヴャトカ・ウェトルジェスキー経済区の中心だ。列車がプラットフォームへ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・こそこそ泥棒も滅多にはなかったのに――。村の中で、この夜、村始まって初めての殺人があるかも知れないという状態はせいそうだ。私の想像はいやに活々して来た。まるで天眼通を授かったように、血なまぐさい光景の細目まで、歴然と目の前にえがかれて来た。・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・又実際、あの頃は近所によく泥棒が入った。私の知って居る丈でも二つ位の話がある。けれども、其等の事件のあったのは、白の居る頃だったろうか、或は死んでからのことであったろうか。 動物に親しみやすい子供の生活に、これぞと云う楽しい追想も遺して・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・ かれはクリクトーのある百姓に話しかけると、話の半ばも聴かず、この百姓の胃のくぼみに酒が入っていたところで、かれに面と向けて『何だ大泥棒!』 そして踵をめぐらして去ってしまった。 アウシュコルンは無言で立ちどまった。だんだん・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
出典:青空文庫