・・・行くとすでに田中君は、例のごとく鍔広の黒い帽子を目深くかぶって、洋銀の握りのついた細い杖をかいこみながら、縞の荒い半オオヴァの襟を立てて、赤い電燈のともった下に、ちゃんと佇んで待っている。色の白い顔がいつもより一層また磨きがかかって、かすか・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・して、茶に菓子に愛相よくもてなしながら、こないだ上った時にはいろいろ御馳走になったお礼や、その後一度伺おう伺おうと思いながら、手前にかまけてつい御無沙汰をしているお詫びなど述べ終るのを待って、媼さんは洋銀の細口の煙管をポンと払き、煙をフッと・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・側は西洋銀らしく大したものではなかったが、文字盤が青色で白字を浮かしてあり、鹿鳴館時代をふと思わせるような古風な面白さがあった。「いい時計ですね。拝見」 と、手を伸ばすと、武田さんは、「おっとおっと……」 これ取られてなるも・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ここの別当橋立寺と予て聞けるはこれにやと思いつつ音ない驚かせば、三十路あまりの女の髪は銀杏返しというに結び、指には洋銀の戒指して、手頸には風邪ひかぬ厭勝というなる黒き草綿糸の環かけたるが立出でたり。さすがに打収めたるところありて全くのただ人・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫