・・・彼の言は、明晰に、口吃しつつも流暢沈着であった。この独白に対して、汽車の轟は、一種のオオケストラを聞くがごときものであった。 停車場に着くと、湧返ったその混雑さ。 羽織、袴、白襟、紋着、迎いの人数がずらりと並ぶ、礼服を着た一揆を思え・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・実にあなたがたの心情をありのままに書いてごらんなさい、それが流暢なる立派な文学であります。私自身の経験によっても私は文天祥がドウ書いたか、白楽天がドウ書いたかと思っていろいろ調べてしかる後に書いた文よりも、自分が心のありのままに、仮名の間違・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・大抵胃の工合の悪いときであるらしいが、そういう夢の中ではきまって非常に流暢にドイツ語がしゃべれるのが不思議である。パリで金が少ないのと、言葉が自由でないのと両方で余計な神経を使ったのが脳髄のどこかの隅に薄いしみのように残っているものと見える・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・学術部長のウィーゼ博士は物静かで真摯ないかにも北欧人らしい好紳士で流暢なドイツ語を話した。この人からいろいろ学術上の仕事の話を聞いた後に「日光は見たか」と聞いたら「否」、「芝居は」と聞いたら「否」と答えたきりで黙ってしまった。海流の研究の結・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・しかもその流暢な弁舌に抑揚があり節奏がある。調子が面白いからその方ばかり聴いていると何を言っているのか分らなくなる。始めのうちは聞き返したり問い返したりして見たがしまいには面倒になったから御前は御前で勝手に口上を述べなさい、わしはわしで自由・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・身心流暢して苦学もまた楽しく、したがって教えしたがって学び、学業の上達すること、世人の望外に出ず。その得、三なり。一、古来、封建世禄の風、我が邦に行われ、上下の情、相通ぜざること久し。ひとり私塾においては、遠近の人相集り、その交際ただ読・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ 蕪村の文章流暢にして姿致あり。水の低きに就くがごとく停滞するところなし。恨むらくは彼は一篇の文章だも純粋の美文として見るべきものを作らざりき。 蕪村の俳句は今に残りしもの一千四百余首あり、千首の俳句を残したる俳人は四、五人を出でざ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・それから落ち着いて流暢な英語で反駁演説をはじめたのです。「只今のご論旨は大へん面白いので私も早速空気を吸うのをやめたいと思いましたがその前に一寸一言ご返事をしたいと存じます。どうぞその間空気を吸うことをお許し下さい。 さて只今のご論・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・豚は語学も余程進んでいたのだし、又実際豚の舌は柔らかで素質も充分あったのでごく流暢な人間語で、しずかに校長に挨拶した。「校長さん、いいお天気でございます。」 校長はその黄色な証書をだまって小わきにはさんだまま、ポケットに手を入れて、・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・非常に天分ある大作家でも、矛盾相剋するブルジョア階級の世界観の環内に止っているところにあっては、文学的練磨がつみ重ねられ、才能が流暢に物語り出すにつれ益々その作家に現れる矛盾は、その作家自身にとって克服し難い妥協なく顕著なものとなって来る。・・・ 宮本百合子 「作家研究ノート」
出典:青空文庫