・・・おぎんの父母は大阪から、はるばる長崎へ流浪して来た。が、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。勿論彼等他国ものは、天主のおん教を知るはずはない。彼等の信じたのは仏教である。禅か、法華か、それともまた浄土か・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・天下の流浪人である。小樽人とともに朝から晩まで突貫し、小樽人とともに根限りの活動をすることは、足の弱い予にとうていできぬことである。予はただこの自由と活動の小樽に来て、目に強烈な活動の海の色を見、耳に壮快なる活動の進行曲を聞いて、心のままに・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
あてもなくさ迷い歩くというが、やはり、真実を求めているのだ。また美を求めているのだ。なぜなれば、人間は、この憧憬がなければ、生きていられないからだ。 あわれなる流浪者よ、いったい、どこに、その真実が見出され、美が見出されるというの・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・何とて父母を捨て流浪せりやと問えば、情婦のためなりと答う。帰後独坐感慨これを久うす。 十日、東京に帰らんと欲すること急なり。されど船にて直航せんには嚢中足らずして興薄く、陸にて行かば苦み多からんが興はあるべし。嚢中不足は同じ事なれど、仙・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・植通も泉州の堺、――これは富商のいた処である、あるいはまた西方諸国に流浪し、聟の十川(十川一存を見放つまいとして、しんしんの身ながらに笏や筆を擱いて弓箭鎗太刀を取って武勇の沙汰にも及んだということである。 この人が弟子の長頭丸に語った。・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・この人が十年も他郷で流浪した揚句に、遠く自分の生れた家の方を指して、年をとってから帰って来たおげんの旦那だ。弟は養子の前にも旦那を連れて御辞儀に行き、おげんの前へも御辞儀に来た。その頃は伜はもうこの世に居なかった。到頭旦那も伜の死目に逢わず・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・兵隊が行軍している途中からこの歌の魂がピーターパンの幽霊のような姿に移って横にけし飛んだと思うと、やがて流浪の民の夜営のたき火のかたわらにかなでられるヴァイオリンの弦のしらべに変わる。この音の流れて行く末にシャトーのバルコニーが現われて夢見・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・滅びた祖国、流浪の生活、熱帯の夏の夜の恋、そんなものを思わせるような、うら悲しくなまめかしい音楽が黄色く濁った波の上を流れて行った。波の上にはみかんの皮やビールのあきびんなどが浮いたり沈んだりして音楽に調子を合わせていた。……淡い郷愁とでも・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・『江頭百詠』は静軒が天保八年『江戸繁昌記』のために罪を獲て江戸払となってから諸方に流浪し、十三年の後隅田川のほとりなる知人某氏の別荘に始めておちつく事を得た時、日々見る所の江上の風光を吟じたもので、嘉永二年に刊刻せられた一冊子である。『・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・そこで国を出て諸方を流浪して、偶に国へ帰っても評判が宜くないから、国へは滅多に帰らなかった。或時国へ帰って来た。国へ帰っても家がないから宿屋に泊っている。その時ブランデスという人がイブセンが来たから歓迎会を開こうというと、イブセンはそんな歓・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
出典:青空文庫