・・・しかしMはいつのまにか湯帷子や眼鏡を着もの脱ぎ場へ置き、海水帽の上へ頬かぶりをしながら、ざぶざぶ浅瀬へはいって行った。「おい、はいる気かい?」「だってせっかく来たんじゃないか?」 Mは膝ほどある水の中に幾分か腰をかがめたなり、日・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・――どこまで行っても清冽な浅瀬。 早教育。――ふむ、それも結構だ。まだ幼稚園にいるうちに智慧の悲しみを知ることには責任を持つことにも当らないからね。 追憶。――地平線の遠い風景画。ちゃんと仕上げもかかっている。 女。――メリイ・・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・……藻のそよぐのに引寄せられて、水の上を、少し斜に流れて来て、藻の上へすっと留まって、熟となる。……浅瀬もこの時は、淵のように寂然とする。また一つ流れて来ます。今度は前の椿が、ちょっと傾いて招くように見えて、それが寄るのを、いま居た藻の上に・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・夏草の茂った中洲の彼方で、浅瀬は輝きながらサラサラ鳴っていた。鶺鴒が飛んでいた。 背を刺すような日表は、蔭となるとさすが秋の冷たさが跼っていた。喬はそこに腰を下した。「人が通る、車が通る」と思った。また「街では自分は苦しい」と思・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ 日影なおあぶずりの端に躊ゆたうころ、川口の浅瀬を村の若者二人、はだか馬に跨りて静かに歩ます、画めきたるを見ることもあり。かかる時浜には見わたすかぎり、人らしきものの影なく、ひき上げし舟の舳に止まれる烏の、声をも立てで翼打ものうげに鎌倉・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・これは水が両岸に激して発するのでもなく、また浅瀬のような音でもない。たっぷりと水量があって、それで粘土質のほとんど壁を塗ったような深い溝を流れるので、水と水とがもつれてからまって、揉みあって、みずから音を発するのである。何たる人なつかしい音・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・折柄川向の磧には、さしかけ小屋して二、三十人ばかりの男打集い、浅瀬の流れを柵して塞き、大きなる簗をつくらんとてそれそれに働けるが、多くは赤はだかにて走り廻れる、見る眼いとおかし。ここに奈耶迦天を祀れるは地の名に因みてしたるにやあらんなど思い・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・そうして、一日じゅうの大部分は藤棚の下の浅瀬で眠ったり泥の中をせせったりして暮らしている。夜になると下流の発電所への水の供給が増すせいであろう、池の水位が目に立つほど減って、浅瀬が露出した干潟になる。盆踊りを見ての帰りに池面のやみをすかして・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・この海峡は幅がわずか十五町くらいで、しかもその内に浅瀬の部分があるので深いところは幅五町くらいなものです。この瀬戸の両側では潮の満干が丁度反対になるので、両側の海面が一番喰い違う時は高さが五尺ほど違います。 ここに出した地図で左側の陸地・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・これは浅草の岸一帯が浅瀬になっていて上汐の流が幾分か緩であるからだ。しかし中洲の河沿いの二階からでも下を見下したなら大概の下り船は反対にこの度は左側なる深川本所の岸に近く動いて行く。それは大川口から真面に日本橋区の岸へと吹き付けて来る風を避・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫