・・・我が勇しき船頭は、波打際の崖をたよりに、お浪という、その美しき恋女房と、愛らしき乳児を残して、日ごとに、件の門の前なる細路へ、衝とその後姿、相対える猛獣の間に突立つよと見れば、直ちに海原に潜るよう、砂山を下りて浜に出て、たちまち荒海を漕ぎ分・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 三 白い梢の青い火は、また中空の渦を映し出す――とぐろを巻き、尾を垂れて、海原のそれと同じです。いや、それよりも、峠で尾根に近かった、あの可恐い雲の峰にそっくりであります。 この上、雷。 大雷は雪国の、・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 折から一天俄に掻曇りて、どと吹下す風は海原を揉立つれば、船は一支も支えず矢を射るばかりに突進して、無二無三に沖合へ流されたり。 舳櫓を押せる船子は慌てず、躁がず、舞上げ、舞下る浪の呼吸を量りて、浮きつ沈みつ、秘術を尽して漕ぎたりし・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・ 碧水金砂、昼の趣とは違って、霊山ヶ崎の突端と小坪の浜でおしまわした遠浅は、暗黒の色を帯び、伊豆の七島も見ゆるという蒼海原は、ささ濁に濁って、果なくおっかぶさったように堆い水面は、おなじ色に空に連って居る。浪打際は綿をば束ねたような白い・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ 露子にはピアノの音が、大海原を渡る風の音と聞こえたり、岸辺に打ち寄せる波の音と聞こえたのであります。そして、ピアノをお弾きなさるお姉さまが、すきとおるお声で、外国の歌をうたいなさるお姿は、いつもよりかいっそう神々しく見えたのであります・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・かぎりもなく、海原は、青々としてかすんでいました。太陽の光は、うららかに、波の上を照らしていました。町の人々は、たくさん海辺へ出て沖の方をながめていました。そのうちに、もうろうとして夢のように、影のように、どこの景色とも知らない、山や、野原・・・ 小川未明 「海からきた使い」
・・・ただ波頭が白く見えるかと思うと消えたりして、渺茫とした海原を幾百万の白いうさぎの群れが駆けまわっているように思われました。 毎夜のように町では戸を閉めてから火鉢やこたつに当たりながら、家内の人々がいろいろの話をしていますと、沖の方で遠鳴・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
おそろしいがけの中ほどの岩かげに、とこなつの花がぱっちりと、かわいらしい瞳のように咲きはじめました。 花は、はじめてあたりを見て驚いたのであります。なぜなら、目の前には、大海原が開けていて、すぐはるか下には、波が、打ち寄せて、白く・・・ 小川未明 「小さな赤い花」
・・・やがて赤い紙は大海原の波の間に沈んでしまって、見えなくなったのであります。 三人は家へ帰って、やがてその夜は床についてねむりました。そうして、明くる日の朝、目を開いてみますと、不思議にも、一人の娘のまくらもとには、みごとなくしと、光った・・・ 小川未明 「夕焼け物語」
・・・あれば飲み、大声あげて歌うもわがために耳傾くるは大空の星のみ――月さゆる夜は風清し、はてなき海に帆を揚げて――ああ君はこの歌を知りたもうや――月さゆる夜は風清し――右を見るも左を見るも島影一つ見えぬ大海原に帆を揚げ風斜めに吹けば船軽く傾き月・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
出典:青空文庫