・・・ するとある夜の事、お栄のよく寝入っている部屋へ、突然祖母がはいって来て、眠むがるのを無理に抱き起してから、人手も借りず甲斐甲斐しく、ちゃんと着物を着換えさせたそうです。お栄はまだ夢でも見ているような、ぼんやりした心もちでいましたが、祖・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。煽るように車台が動いたり、土工の袢天の裾がひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思う事がある。せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・が、それよりもさらにつらいのは、そう云う折檻の相間相間に、あの婆がにやりと嘲笑って、これでも思い切らなければ、新蔵の命を縮めても、お敏は人手に渡さないと、憎々しく嚇す事でした。こうなるとお敏も絶体絶命ですから、今までは何事も宿命と覚悟をきめ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・……それが皆その像を狙うので、人手は足りず、お守をしかねると言うのです。猫を紙袋に入れて、ちょいとつけばニャンと鳴かせる、山寺の和尚さんも、鼠には困った。あと、二度までも近在の寺に頼んだが、そのいずれからも返して来ます。おなじく鼠が掛るので・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・其後又、今度は貸金までして仕度をして何にも商ばいをしない家にやるとここも人手が少なくてものがたいのでいやがって名残をおしがる男を見すてて恥も外聞もかまわないで家にかえると親の因果でそれなりにもしておけないので三所も四所も出て長持のはげたのを・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・当時の記念としては鹿鳴館が華族会館となって幸い地震の火事にも無事に免かれて残ってるだけだが、これも今は人手に渡ってやがて取毀たれようとしている。井侯薨去当時、故侯の欧化政策は滑稽の思出草となったが、あらゆる旧物を破壊して根底から新文明を創造・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・また、私は、これから西にゆきますと、広いりんご畑があって、そこでは人手のいることを知っています。そのりんご畑の持ち主を、私は、まんざら知らないことはありません、その主人に、私は、あなたを紹介しましょう。そして、私も、あなたといっしょに働いて・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・世には、我が子が、病気の時にも、自から看護をせず、看護婦や、家政婦の如き、人手を頼んでこれに委して、平気でいるものがないではない。その方が手がとゞくからという考えが伏在するからです。金というものがいかばかり人間の魂を堕落に導いたか知れない。・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・…青いクロース背に黒文字で書名を入れた百四十八頁の、一頁ごとに誤植が二つ三つあるという薄っぺらい、薄汚い本で、……本当のこともいくらか書いてあったが、……いや、それ故に一層お前は狼狽して、莫迦げた金と人手を使って、その本の買い占めに躍起とな・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・現在年寄夫婦が商売しているのだが、土地柄、客種が柄悪く荒っぽいので、大人しい女子衆は続かず、といって気性の強い女はこちらがなめられるといった按配で、ほとほと人手に困って売りに出したのだというから、掛け合うと、案外安く造作から道具一切附き三百・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫