・・・しかも海路を立ち退くとあれば、行く方をつき止める事も出来ないのに違いない。これは自分一人でも、名乗をかけて打たねばならぬ。――左近はこう咄嗟に決心すると、身仕度をする間も惜しいように、編笠をかなぐり捨てるが早いか、「瀬沼兵衛、加納求馬が兄分・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・細雨を傘によけて大観門外に立って見ると、海路平安と銘あるそのすっきりした慈航燈を前景とし、右によって市中の教会の尖塔がひとり雨空に聳えて居る。濡れた屋根屋根、それを越すと、煙った湾内の風光が一眸におさめられる。佇んでこれ等の遠望を恣にして居・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・埋立地もなかった昔の浜辺から此処迄は近かったに相違ない。海路平安という文字を刻された慈海燈は、唐船入津の時、或は毎夜、一点の光明を暗い夜の海に向って投げかけた。海上から、人の世の温情を感じつつその瞬きを眺めた心持、また、秋宵この胸欄に倚って・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫