・・・庭には何もないと言っても、この海辺に多い弘法麦だけは疎らに砂の上に穂を垂れていた。その穂は僕等の来た時にはまだすっかり出揃わなかった。出ているのもたいていはまっ青だった。が、今はいつのまにかどの穂も同じように狐色に変り、穂先ごとに滴をやどし・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・「私はつい四五日前、西国の海辺に上陸した、希臘の船乗りに遇いました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。私はその船乗と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。目一つの神につかまった話だの、人を豕にする・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・その折さる海辺にて、見知らぬ紅毛人より伝授を受け申した。」 奉行「伝授するには、いかなる儀式を行うたぞ。」 吉助「御水を頂戴致いてから、じゅりあのと申す名を賜ってござる。」 奉行「してその紅毛人は、その後いずこへ赴いたぞ。」・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・そのうちにいつかひきつけたとみえ、寂しい海辺を歩いていた。そのまた海辺には人間よりも化け物に近い女が一人、腰巻き一つになったなり、身投げをするために合掌していた。それは「妙々車」という草双紙の中の插画だったらしい。この夢うつつの中の景色だけ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ 渠は手も足も肉落ちて、赭黒き皮のみぞ骸骨を裹みたるたる空に覆れたる万象はことごとく愁いを含みて、海辺の砂山に著るき一点の紅は、早くも掲げられたる暴風警戒の球標なり。さればや一艘の伝馬も来らざりければ、五分間も泊らで、船は急進直江津に向・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・ * * * * * 初夏のある日のこと、露子は、お姉さまといっしょに海辺へ遊びにまいりました。その日は風もなく、波も穏やかな日であったから、沖のかなたはかすんで、はるばると地平線が茫然と夢のようになって・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・日が暮れると海辺へ出ては、火をたいて、もしやこの火影を見つけたら、救いにきてはくれないかと、あてもないことを願った。三人は、ついに丘の上の獄屋に入れられてしまった。そして、長い間、その獄屋のうちで月日を送ったのだ。たまたま月の影が、窓からも・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・町の人々は、たくさん海辺へ出て沖の方をながめていました。そのうちに、もうろうとして夢のように、影のように、どこの景色とも知らない、山や、野原や、紫色の屋根などが浮かんで見えたのであります。「ああ、わたしのふるさとの景色だこと。」といって・・・ 小川未明 「海からきた使い」
今年の夏休みに、正雄さんは、母さんや姉さんに連れられて、江の島の別荘へ避暑にまいりました。正雄さんは海が珍しいので、毎日朝から晩まで、海辺へ出ては、美しい貝がらや、小石などを拾い集めて、それをたもとに入れて、重くなったのをかかえて家へ・・・ 小川未明 「海の少年」
・・・私ははじめシューベルトの「海辺にて」を吹きました。ご存じでしょうが、それはハイネの詩に作曲したもので、私の好きな歌の一つなのです。それからやはりハイネの詩の「ドッペルゲンゲル」。これは「二重人格」というのでしょうか。これも私の好きな歌なので・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
出典:青空文庫