・・・あの底知らずの竜の口とか、日射もそこばかりはものの朦朧として淀むあたりに、――微との風もない折から、根なしに浮いた板ながら真直に立っていた白い御幣が、スースーと少しずつ位置を転えて、夢のように一寸二寸ずつ動きはじめた。 凝と、……視るに・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・……夏の内は、西と東を各晩であるが、秋の中ばからは一月置きになって、大空の星の沈んだ光と、どす赤い灯の影を競いつつ、末は次第に流の淀むように薄く疎にはなるが、やがて町尽れまで断えずに続く…… 宵をちと出遅れて、店と店との間へ、脚が極め込・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・流れの淀むところは陰暗く、岩を回れば光景瞬間に変じ、河幅急に広まりぬ。底は一面の白砂に水紋落ちて綾をなし、両岸は緑野低く春草煙り、森林遠くこれを囲みたり。岸に一人の美わしき少女たたずみてこなたをながむる。そのまなざしは治子に肖てさらに気高く・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・私が言い澱むと、「ねむれた?」無心にたずねるKの眼は、湖水のように澄んでいる。 私は、ざぶんと湯槽に飛び込み、「Kが生きているうち、僕は死なない、ね。」「ブルジョアって、わるいものなの?」「わるいやつだ、と僕は思う。わびしさ・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・ 舟は西河岸の方に倚って上って行くので、廐橋手前までは、お蔵の水門の外を通る度に、さして来る潮に淀む水の面に、藁やら、鉋屑やら、傘の骨やら、お丸のこわれたのやらが浮いていて、その間に何事にも頓着せぬと云う風をして、鴎が波に揺られていた。・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫