・・・絢爛の才能とか、あふれる機智、ゆたかな学殖、直截の描写力とか、いまは普通に言われて、文学を知らぬ人たちからも、安易に信頼されているようでありますが、私は、そんな事よりも、あなたの作品にいよいよ深まる人間の悲しさだけを、一すじに尊敬してまいり・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ それを思うたびに、心に一つのおどろきが深まるように思うのは、女の真心、母の真心というテーマで描かれている傑作映画は、たとえば古く「ステラダラス」にしろ、ポーラ・ネグリがいかにも女優としての力量を示した「マズルカ」にしろ、実にその多くが・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・ 追腹を切って阿部彌一右衛門は死んでしまったが、そうやって死んでも阿部一族への家中の侮蔑は深まるばかりで、その重圧に鬱屈した当主の権兵衛が先代の一周忌の焼香の席で、髻を我から押し切って、先君の位牌に供え、武士を捨てようとの決心を示した。・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・良人に愛され、母に愛され、その地上的愛の葛藤に苦しむよりは、相方が或強制を以て、人生を眺める方が、人格が深まるのかもしれないと云うような、稍々利己的な積極的解釈さえ加えて居たのである。 けれども、近頃、自分の心は、林町のことを思うと、暗・・・ 宮本百合子 「傾く日」
・・・ きょうの若い女性たちが、明日は立派な乳房とつよい腕と年毎に智慧の深まるしっかり優しいまなざしを持つ母たちであろうとするならば、それらの女性が自分たちとその子のために、社会に必要なあらゆる施設を、それが住宅と産院であるにしろ、托児所や子・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
・・・十九世紀に大芸術家、科学者、政治家を輩出させた社会の創造的可能性は、その矛盾の深まるにつれてしだいに萎靡して、二十世紀前半は、ほとんどあらゆる分野においてその解説者、末流、傍系的才能しか発芽させえなかった。十九世紀は、その興隆する資本主義社・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・天にはただ一つしかない秋の月ではあるが、その月を眺めるひとの心のありようによって、清明な快い月であると思われるであろうし、月のさやけさに又かえって恨が深まるようなこともあろう。自然と人間との感情の交錯を、人間の主観の立場に立って観察したわか・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・ 短い時間ずつではあるが会う度も重り、彼女の些やかな親切な心づかいによっても次第に友情は深まるのが自然であった。が、実際はそう行かなかった。はる子は、千鶴子と喋っていると、屡々心持の奥に原因ある居心地わるさを感じるようになった。何という・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・ しかし、わたし達すべて働く婦人は、世の中の不景気が深まるにつれ、一日一日と実に辛い暮しをするので、たとえば減俸についても、ただ、減俸された世帯をどうやりくるかという末のことだけでなく、何故減俸ということが起ったのかという根本のところま・・・ 宮本百合子 「発刊の言葉」
・・・すべてのことが、重吉に云われた後家のがんばりを中心に思いめぐらされるのであったが、並んだ二つの臥床を丁寧にこしらえて行くうちに、ひろ子の心に、次第に深まる駭きがあった。ひろ子にとって、ずばりと後家のがんばりを警告してくれるのが、良人である重・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫