・・・これこそ達人の境であるという印象は、この歌集において一層深まるのを覚えた。 ここには戦争の災禍に押しつめられた、苦しい、いたましい生活がある。が、その生活には、山村の四季のさまざまな物の姿がしみ通っている。時おりの心のゆらぎを示すものも・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
・・・やがて新緑の色が深まるにつれ、だんだん黒ずんだ陰欝な色調に変わって行くが、これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方がない。樹ぶりが悪いのは成長が早すぎるせいであろう。一体東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。ゲテモノ・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
・・・男女の相愛はこれほど深まることができる。しかし押し倒された正義は執拗に愛する者の胸を噛んでいる。完全に相愛する男女の生活にも惨ましい寂しさがある。そうしてついに正義は蛇のように謀反者の喉に巻きつく。『彼岸過迄』においては愛を双方で認めな・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫