・・・行きあたりばったり、どこの散髪屋でも、空いているようなところだったら少しは汚い店でもかまわないと、二、三軒覗いて歩いたが、どこも満員の様子である。横丁の銭湯屋の向いに、小さな店が一軒あって、そこを覗いてみたら、やはり客がいるような様子だった・・・ 太宰治 「美少女」
・・・ お茶の水から甲武線に乗り換えると、おりからの博覧会で電車はほとんど満員、それを無理に車掌のいる所に割り込んで、とにかく右の扉の外に立って、しっかりと真鍮の丸棒を攫んだ。ふと車中を見たかれははッとして驚いた。そのガラス窓を隔ててすぐそこ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・中途から退席して表へ出で入り口を見ると「満員御礼」とはり札がしてあった。「唐人お吉」にしても同様であった。 これらの邦劇映画を見て気のつくことは、第一に芝居の定型にとらわれ過ぎていることである、書き割りを背にして檜舞台を踏んでフートライ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・しかし、それも何千人と折り重なっては困るであろうし、また満員のデパートに急な火が起これば階段が人間ですし詰めになって閉塞してしまう恐れがある。映画館の火事でそういう実例がたびたびあった。そういう時にいちばんだいじなのは遭難者の訓練であるが、・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・三越支店の食堂は満員であった。 月寒の牧場へ行ったら、羊がみんな此方を向いて珍しそうにまじまじと人の顔を見た。羊は朝から晩まで草を食うことより外に用がないように見える。草はいくら食ってもとても食い切れそうもないほど青々と繁茂しているので・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・三等が満員になったので団員の一部は二等客車へどやどや雪崩れ込んだ。この直接行動のおかげで非常時気分がはじめて少しばかり感ぜられた。こうした場合の群集心理の色々の相が観察されて面白かった。例えば大勢の中にきっと一人くらいは「豪傑」がいて、わざ・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・ 乗り込んだ汽車はどこかの女学校の遠足で満員であった。汽車が動きだすと一団の生徒らは唱歌を歌いだした。それはなんの歌だかわからないが、二部の合唱で、静かな穏やかな清らかな感じのするものであった。汽車のゴーゴーという単調な重々しい基音の上・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・こういう見方からすれば、芸術的な高級演劇がさっぱり商売にならないで芸術などは相手にしない演劇会社社長の打つ甘い新派劇などが満員をつづけるのが不思議でなくなるようである。 話は変わるが、日本では昔から「ものの哀れ」ということがいろいろな芸・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・その跡へは大きな革鞄を抱えた爺と美術学校の生徒が乗ってその前へは満員の客が立ち塞がってしまう。窮屈さと蒸された人の気息とで苦しくなった。上野へ着くのを待ち兼ねて下りる。山内へ向かう人数につれてぶらぶら歩く。西洋人を乗せた自動車がけたたましく・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・わずかに一階を上がるだけならば、何もわざわざ満員の昇降機によらなくても、各自持ち合わせの二本の足で上がったらよさそうにも思われる。自分の窮屈は自分で我慢すればそれでいいとしても、他の乗客の窮屈さに少しでも貢献することを遠慮したほうがよさそう・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
出典:青空文庫