・・・の中には、女学校に入る娘を博物館の勤めさきまでつれて行ってやって算術の稽古をしてやっている父鴎外の姿が、溢れるなつかしさをこめて描かれている。従って、子供たちが、有形無形に父から与えられているものは、深く、しっかり根を張っているであろう。女・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・ イエニーの日記は溢れる涙を押えている。ロンドンの生活でパンと馬鈴薯の食事は家族の健康を衰えさせるばかりであった。イエニーは病気になった。小イエニーも悪い。丈夫なレンシェンも熱を出しはじめている。カールは図書館へ新聞をよみに行く金のない・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・石を鋪道にしたような裏通りまで、カフェーの前あたりはもとより往来のあっちからこっち側へと一列ながら花電球も吊るされ、青い葉を飾った音楽師の台が一つの通りに一つはつくられて、街という街は踊る男女の群集で溢れる。 外国人のためにもこの祭りの・・・ 宮本百合子 「十四日祭の夜」
・・・明るく、確りしてい、同時に溢れる閑寂を感じる。 私の狭い経験で東京や京都の凝った部屋の植込みが、こんなところは知らない。坐ると、第一に植込みの葉面が迫って来る。種々錯綜した緑の線、葉の重なり。ここでは緑に囲まれて坐るというところによさが・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・あわてて茶の間に出て見たら、きっちり片づいた卓子の上に一つころりとのって居る夏蜜柑に溢れるように澄んだ朝日がさして居た。 Y出かけてから、私は改めて一寝入りした。十時半頃起きた。今月は雨が多く、鬱陶しく壁の湿っぽいような日が続いたが、今・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・あなたにあげる手紙の中で、我々の生活には何が一番大切かということに触れて書くとき私はその答えが分らなくて書くのではないのですよ、答えはわかって居て、心に響となって鳴っていて、何とも黙しかねて、字にまで溢れるという工合なの。あなたが、そういう・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・世界で一番いい妻になって、一番いい母になって、そして石や青銅で美しい像をつくって、世界の果まで旅行して、ああ私はありとあらゆることがしてみたいという溢れるような彼女の性格は、その土台が真摯な、ひたむきな素朴さ、純粋さにおかれていて、どことな・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
・・・精力的に、溢れるという形を示した作品が現れるようになった。作品の世界は、幻想的と云われ、或は逞しき奔放さと云われ、華麗と云うような文字でも形容され、デカダンスとも云われ、あらゆる作品の当然の運命として、賞讚と同時の疑問にもさらされた。文学の・・・ 宮本百合子 「作品の血脈」
・・・人民の一人一人を吊りあげることも出来ると威嚇した人権蹂躪制度とその施設が無力なものとさせられてゆく姿をうつしたこのニュース映画は、素朴な描写のうちに溢れる濤のような自由への渇望を語っていた。 そのような新しい潮におされて、まだ日本独特の・・・ 宮本百合子 「三年たった今日」
・・・学校の空気には、抑えても溢れる若さに共感をもつような要素にかけていた。情緒のうるおわされるものがなかった生徒たちは、おそらく一人のこらずと云っていいくらい、千葉先生には好意をもったと思う。千葉先生は毎朝の体操のときに水色メリンスのたすきをか・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
出典:青空文庫