・・・ ――静けさ明るさに溶けるように、「う? う?」 軟かく鼻にかかった百代の声がした。十六の彼女は従兄の忠一の後に大きな元禄紬の片腕を廻し背中に頻りに何か書いた。「ね? だから」 何々と書くのだろう。忠一はしかつめらしく結・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・と読まれたら、私は恐らく悲しさと一緒に身も心も溶けるような寛ろぎを感じて彼女のために泣いただろう。祖母の名は、運といった。 祖母は、九月の下旬から、福島県下の小さな村の家に行っていた。祖父が晩年を過したところで、特徴のない僻村だが、家族・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・ 凝と坐って耳を傾けると、目の下の湖では淡黄色い細砂に当って溶ける優婉な漣の音が、揺れる楊柳の葉触れにつれて、軽く、柔く、サ……、サ……、と通って来る。心持のよい日だ。 私の周囲を取繞く総てのものは、皆七月の太陽を身に浴びて嬉々とし・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・眠いという溶けるような感覚しか何もない。十一時頃茶の間にやっと出た。まだ包紙も解いてないパン、ふせたままの紅茶茶碗等、人気なく整然と卓子の上に置かれている。――奇妙なことと思い、少し不安を感じた。起きた順に、朝食はすまして勉強することに定め・・・ 宮本百合子 「春」
・・・私は平静湾の氷は五月に溶けると書きましたが、果して五月にすっかりとけてしまいました。それに、ルドルフ島の天候も私の本にあるのと、全く同じです」「操縦士の空想」を現実のものとして彼等が北極に学術探検隊をおくることに成功したとき、遙かかなた・・・ 宮本百合子 「文学のひろがり」
・・・やがてはらはらと、解けるように花が開いてしまう。この時には何の音もしない。最初二ひら三ひら開いたときには、つい見ていなかったのではあるが、しかし側にいたのであるから、音がすれば聞こえたはずである。どうも音なんぞはしないらしい。 それでは・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・ こう考えてくると埴輪の人形の持っているあの不思議な生気のなぞが解けるかと思う。埴輪人形の製作者は人体を写実的に作ろうとしたのではない。ただ意味ある形を作ろうとしただけである。しかし意味ある形のうちの最も重要なものが人の顔面であったがゆ・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
・・・むずかしければこそ藤村君は巌頭に立ち、幾万の人は神経衰弱になる、新渡戸先生でさえ神経衰弱である、鮪のさし身に舌鼓を打ったところで解ける問題でない。魚河岸の兄いは向こう鉢巻をもって、勉強家は字書をもってこの問題を超越している。ある人は「粋」の・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫