・・・が、一度負った呪は、世界滅却の日が来るまで、解かれない。現に彼が、千七百二十一年六月二十二日、ムウニッヒの市に現れた事は、ホオルマイエルのタッシェン・ブウフの中に書いてある。―― これは近頃の事であるが、遠く文献を溯っても、彼に関する記・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・きょうは朝から近頃に無く気持がせいせいしていて慾も得も無く、誰をも怨まず、誰をも愛さず、それこそ心頭滅却に似た恬淡の心境だったのですが、あなたに話かけているうちに、また心の端が麻のように乱れはじめて、あなたの澄んだ眼と、強い音声が、ともする・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・窓に対する壁は漆喰も塗らぬ丸裸の石で隣りの室とは世界滅却の日に至るまで動かぬ仕切りが設けられている。ただその真中の六畳ばかりの場所は冴えぬ色のタペストリで蔽われている。地は納戸色、模様は薄き黄で、裸体の女神の像と、像の周囲に一面に染め抜いた・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 征服された暁を考えると、そこには生きるに堪えないほど、威力を失い、自己の滅却された憐れな我姿を見ます。 征服しなければ自己を守り得ないとすれば、私は、原因となる対象を全部否定し、生活圏外に放擲してしまわなければならない。約言すれば、自・・・ 宮本百合子 「われを省みる」
出典:青空文庫