・・・僕は、――僕も「しめた」と思いましたから、いきなりそのあとへ追いすがりました。するとそこには僕の知らない穴でもあいていたのでしょう。僕は滑らかな河童の背中にやっと指先がさわったと思うと、たちまち深い闇の中へまっさかさまに転げ落ちました。が、・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・栗鼠は今でも不相変、赤い更紗の布を下げた硝子窓に近い鳥籠の中に二匹とも滑らかに上下していた。「じゃ一つこれをどうだ?」 譚はビスケットを折って見せた。ビスケットは折り口も同じ色だった。「莫迦を言え。」 僕は勿論首を振った。譚・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・笠井はまだ何か滑らかにしゃべっていた。 場主がまだ何か訓示めいた事をいうらしかったが、やがてざわざわと人の立つ気配がした。仁右衛門は息気を殺して出て来る人々を窺がった。場主が帳場と一緒に、後から笠井に傘をさしかけさせて出て行った。労働で・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 皆、咄嗟の間、ですが、その、廻っている乳が、ふわふわと浮いて、滑らかに白く、一列に並んだように思う…… と莞爾していった、お雪さんの言が、逆だから、(お遁げ、危と、いうように聞えて、その白い菩薩の列の、一番框へ近いのに――導か・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・膚をいえば、きめが細く、実際、手首、指の尖まで化粧をしたように滑らかに美しい。細面で、目は、ぱっちりと、大きくないが張があって、そして眉が優しい。緊った口許が、莞爾する時ちょっとうけ口のようになって、その清い唇の左へ軽く上るのが、笑顔ながら・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ただ静かに滑らかで、人ひとり殺した恐ろしい水とも見えない。幼い彼は命取らるる水とも知らず、地平と等しい水ゆえ深いとも知らずに、はいる瞬間までも笑ましき顔、愛くるしい眼に、疑いも恐れもなかったろう。自分はありありと亡き人の俤が目に浮かぶ。・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・が、彼の思索や行為はいつの間にか佯りの響をたてはじめ、やがてその滑らかさを失って凝固した。と、彼の前には、そういった風景が現われるのだった。 何人もの人間がある徴候をあらわしある経過を辿って死んでいった。それと同じ徴候がおまえにあらわれ・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・玉は乱れ落ちてにわかに繁き琴の手は、再び流れて清く滑らかなる声は次いで起れり。客はまたもそなたを見上げぬ。 廊下を通う婢を呼び止めて、唄の主は誰と聞けば、顔を見て異しく笑う。さては大方美しき人なるべし。何者と重ねて問えば、私は存じませぬ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・独語のようにいうを人々心のうちにて驚きぬ、この翁がかく滑らかに語りいでしを今まで聞きしことなければ。「げに月日経つことの早さよ、源叔父。ゆり殿が赤児抱きて磯辺に立てるを視しは、われには昨日のようなる心地す」老婦は嘆息つきて、「幸助殿・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・この窟上下四方すべて滑らかにして堅き岩なれば、これらの名は皆その凸く張り出でたるところを似つかわしきものに擬えて、昔の法師らの呼びなせしものにて、窟の内に別に一々岩あるにはあらず。 道二つに岐れて左の方に入れば、頻都廬、賽河原、地蔵尊、・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫