・・・ しばらくの後わたしたちは、浪ばかり騒がしい海べから、寂しい漁村へはいりました。薄白い路の左右には、梢から垂れた榕樹の枝に、肉の厚い葉が光っている、――その木の間に点々と、笹葺きの屋根を並べたのが、この島の土人の家なのです。が、そう云う・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・が、とにかく、これは問屋、市場へ運ぶのではなく、漁村なるわが町内の晩のお菜に――荒磯に横づけで、ぐわッぐわッと、自棄に煙を吐く艇から、手鈎で崖肋腹へ引摺上げた中から、そのまま跣足で、磯の巌道を踏んで来たのであった。 まだ船底を踏占めるよ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 昔は、このあたりは、繁華な町があって、いろいろの店や、りっぱな建物がありましたのですけれど、いまは、荒れて、さびしい漁村になっていました。 春になると、城跡にある、桜の木に花が咲きました。けれど、この咲いた花をながめて、歌をよんだ・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・ 気の狂ったおきぬは、その後、すこしおちついたけれど、もうこの村には用のない人とされて、山一つ越した、あちらの漁村の実家へ帰ってしまったそうです。「お嬢さま、せっかくおつれもうして、あの女のうたう子守唄をおきかせすることができません・・・ 小川未明 「谷にうたう女」
・・・ 二 彼の問いと危機 日蓮は太平洋の波洗う外房州の荒れたる漁村に生まれた。「日蓮は日本国東夷東条安房国海辺旃陀羅が子也」と彼は書いている。今より七百十五年前、後堀川天皇の、承久四年二月十六日に、安房ノ国長狭郡東条に貫・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 兵士は、その殆んどすべてが、都市の工場で働いていた者たちか、或は、農村で鍬や鎌をとっていた者たちか、漁村で働いていた者たちか、商店で働いていた者たちか、大工か左官の徒弟であった者たちか、そういう青年たちばかりだ。小学校へ行っている時分・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・やはり房州あたりの漁村を歩いているような気持なのである。 やっと見つけた。軒燈には、「よしつね」と書かれてある。義経でも弁慶でもかまわない。私は、ただ、佐渡の人情を調べたいのである。そこへはいった。「お酒を、飲みに来たのです。」私は・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・津軽半島の漁村の出である。未だ若い様であった。夫と子供に相ついで死にわかれ、ひとりでいるのを、私の家で見つけて、傭ったのである。この乳母は、終始、私を頑強に支持した。世界で一ばん偉いひとにならなければ、いけないと、そう言って教えた。つるは、・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・ 帆も楫も無い丸木舟が一艘するすると岸に近寄り、魚容は吸われるようにそれに乗ると、その舟は、飄然と自行して漢水を下り、長江を溯り、洞庭を横切り、魚容の故郷ちかくの漁村の岸畔に突き当り、魚容が上陸すると無人の小舟は、またするすると自ら引返・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ 三島大社では毎年、八月の十五日にお祭りがあり、宿場のひとたちは勿論、沼津の漁村や伊豆の山々から何万というひとがてんでに団扇を腰にはさみ大社さしてぞろぞろ集って来るのであった。三島大社のお祭りの日には、きっと雨が降るとむかしのむかしから・・・ 太宰治 「ロマネスク」
出典:青空文庫